厳島神社のご利益(ゴリヤク)とは?神社の歴史から考えるご利益

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厳島神社のご利益(ゴリヤク)は?

まとめ
厳島神社本社本殿には海運の女神の「宗像三女神」が祀られている。
●よって厳島神社のご利益は「海上の交通安全」「陸の交通安全(車の)」「水難避け(船や釣り人に)」。
●宗像三女神の1柱の市杵島姫は弁財天と集合していて、厳島弁財天には「勝負に勝つ」という性質がある。
●よって厳島神社のご利益には「学業成就」「勝負に勝つ」「家内安全」「病気平癒」「安産祈願」「家内安全・商売繁盛」もあります。

厳島神社の神は?

世界遺産である厳島神社は平安時代末期に海上神殿が造営されたことで有名ではあるのですが、じゃあ、厳島神社の神様はどういう神様なのかというと、知らない人が多いのです。
宗像三女神
厳島神社本社本殿の神様は現在「宗像三女神(ムイナカタサンジョシン)」と呼ばれる九州の宗像市の宗像大社の女神たちなんです。宗像から「分けてもらった」のです。日本の神様は「無限に分割」できるんです。
女神たちの名前
三姉妹の女神の名前は市杵島姫(イチキシマヒメ)・多岐津比売(タギツヒメ)・田心姫(タゴリヒメ)です。この宗像の女神は九州からここ宮島(厳島)にやってきたとされます。伝承によれば佐伯鞍職(サエキノクラモト)という人物が宗像の女神に出会い、神社の造営を促されたとされています。ちなみに厳島神社の神官は現在も「佐伯」です(ただし、鎌倉から戦国までは藤原だった)。

宗像の女神とは

宗像の女神はどういう女神かというと「海運の女神」です。海上交通の神様で、船の安全を守る力があります。だから厳島神社のご利益のメインは「海運」なんです。海運というと私たちにはあんまり関係が無い感じがしますが、海運には「陸の交通安全」も含まれます。ようは「交通全般」がご利益の対象なんですよ。ドライブの安全も守ってくれるのが宗像の女神のいいところ。また海の女神ですから「水難避け」というご利益もあります。釣りをする人や船に乗る人はピッタリですね。
アマテラスとスサノオの間に生まれた宗像の女神
古事記や日本書記ではアマテラスとスサノオが誓約という儀式を行います。この誓約の結果生まれたのが宗像の女神と、厳島神社の客神社に祀られている五男神です。五男神の1柱であるアメノオシホミミの子孫が現在の「天皇」です。


また厳島神社の宗像の女神…特に市杵島姫神にはある特性があります。
それは「勝負」です。

厳島神社と神仏習合

日本の神様は仏教の伝来以後、仏と合体していきます。神仏習合というやつです。神仏習合というのは、神と仏は実は「同一」で、日本人が神様として崇めていたモノが、実は仏でもあるという、なんというかご都合主義的「捉え方」なんですね。そんなわけで、厳島の神様も仏様と合体しました。宗像の女神の市杵島姫が合体したのが「弁財天(ベンザイテン)」です。弁財天は七福神の一人で、七福神の中で唯一の「女神」です。この弁財天は「芸事」の神様で、いつも弦楽器の琵琶を持っています。じゃあ、厳島神社も「芸」のご利益があるのかというと、これがそう簡単に行きません。なぜか弁財天には「戦いの神」という性質があるんです。
厳島弁財天の持っている琵琶をヒントにして作ったのが宮島のしゃもじ
●厳島神社の神が宗方三女神になったのは戦国時代の終わりあたり。その宗像の市杵島姫が、京都で流行っていた弁財天信仰(竹生島など)と習合したのも戦国時代の終わり。
●弁財天はなぜか本殿に祀られていた秘仏。一方、かつて厳島神社の裏に祀られていた本地堂十一面観音菩薩(平安時代から伊都岐島大明神と習合してた仏)は誰でも参拝できた。扱いが弁財天>観音菩薩という見方もできる。

厳島神社は戦(イクサ)の神

平安時代末期に後白河上皇というキャラクターの濃い天皇がいまして、後白河上皇は今様という歌を好んでいました。今様ってのは今で言う所の「ラップ」「ヒップホップ」みたいなものだと思ってください。その後白河上皇が歌った今様の中で「厳島神は戦神(イクサガミ)だ!」と言っているんです。
厳島神社の神は戦の神
どうも厳島の神は「戦争の神」でもあったようなんです。そのためか、江戸時代まで厳島神社の本殿に祀られていた弁財天の像には8つの腕があるのですが、この腕には武器が持たされているんです。しかし、どうして弁財天が戦神なのか?ってなりますよね。
●この弁財天の像は現在は大願寺に所蔵されていて、毎年6月17日だけ開帳される。
●宮島で弁財天信仰が始まったのは戦国の終わり。

歴史とご利益

ややこしい話なんですが、現在、厳島神社に祀られているのは宗像三女神ですが、本来厳島神社に祀られていたのは伊都岐島大明神(イツキシマダイミョウジン)という神様でした。市杵島姫(イチキシマヒメ)と似ていても全く別の神様でした。この神様に「戦神」の性質があったようなのです。

ではどうして伊都岐島大明神が戦神だったのか?は分かりません。これは源氏が八幡大明神を崇敬した結果、軍神になったのと一緒ではないかとも思いますが、何とも言えません。
この伊都岐島大明神の性質を宗像三女神と弁財天が引き継ぎ、そして全国の弁財天へと広がっていってしまったというわけなんです。
●どうして厳島神社で宗像の女神が突然、主な神様になったのかというと、一言で言っちゃうと「伊都岐島大明神と名前が似ているから」なんです。詳細は伊都岐島大明神で。

というわけで厳島神社には「勝負に勝つ」という性質があります。それで厳島神社の近くに豊臣秀吉が千畳閣を建てたり、明治・大正・昭和の日本が戦争をしていた時期では、「敵を召し捕る」に引っ掛けて「飯とる」でしゃもじを神社に奉納するようになったのです。

●平和都市「ヒロシマ」という性質からこの辺りの話は全然されないのですが、厳島神社は戦時中は戦意高揚に一役買っていたってのもあるんですね。

そういうわけで、厳島神社には「受験に勝つ」「学業成就」「仕事で結果を出す」「必勝(ギャンブルとか)」「安産」「家内安全・商売繁盛」「病気平癒(病気に勝つ)」というご利益もあります。

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