今社

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今社とは

今社というのは、かつて紅葉谷川の上流にあった社。
平清盛と二位の尼と安徳天皇が祀られていました。
まとめ
●現在はない社。
●紅葉谷の奥にあったらしい。
●今社の周囲は禁足地だった。
●毎年、大きなイベントをしていた。
●平清盛・二位の尼(清盛の妻)・安徳天皇が祀られていて、鎮魂のための社。
●今社の側に流れている川が「御霊川」。御霊は清盛たちの魂のことをさしていると思われる。

今社は鎮魂の社

二位の尼と安徳天皇は壇ノ浦で死に、清盛は平家の代表的人物。壇ノ浦の合戦の時点では清盛はすでに死んでいます。この三者の魂を鎮めて、祟りを防ぐために作られたのが今社です。平安時代からずっと今社で鎮魂の儀式をしていたのですが、徐々にやらなくなりました。どうも「なぜ儀式をやっているのか?」よく分からなくなったんじゃないかと思います。誰も清盛のことを覚えていませんからね。
●恨みのある人物が祟らないように祀り、神とすることで祟りを防ぐことを御霊信仰と言います。現在の紅葉谷川は御手洗川とも御陵川とも呼ばれていますが、御陵川(御霊川)と呼ばれるのは今社のため。

現在はない

今社は現在はなく、祀っていた三人は江戸時代の初期に山王社(現在の三翁社)に移され、清盛だけは昭和29年に西の松原の清盛神社に移っています。
●どうやら土砂災害があって、倒壊したのではないか?と言われていますがよく分かりません。

ちなみに「今社」の「今」は「新しく作った」という意味です。平安末期に作った時には「新しい」ものだったわけです。似たような名前に「新宮」とか「若宮」という言葉があります。それを同じようなものです。
●今社は「今宮」とも呼ばれていました。

戦前の清盛の評価

さて。
現在の日本では平清盛は歴史的偉人として捉えられていますが、これは吉川英治が「新平家物語」を書いてそれが有名になったからで、それ以前は、東大寺を焼いた(焼いたのは平重衡だけど)り、朝廷の敵であったり、「平家にあらずは人にあらず」という発言の調子こいた感じがあったりで、決して立派な人という評価じゃないんですよね。ましてや今社ができた時は、平家が滅亡した直後であり、それ以降は平家の仇敵の源氏が開いた鎌倉幕府の世の中でした。清盛の魂を鎮魂する社を作るってのは、源氏に目をつけられてもおかしくないな、と思いませんか??

日本の御霊信仰

鎮魂と日本人
日本人は人が死んだら霊体になります。この霊体が何をやらかすか分からない。だから、残された人間は鎮魂をしないといけません。特に、壇ノ浦で死んだのは平家と安徳天皇です。平家はそもそも皇族の中で、「これはどうも天皇になれそうもないな」という人に名字を与えて皇族から「人」になった家です。源氏も同じですね。つまり、壇ノ浦で死んだ平家と安徳天皇は、天皇の血筋の人間で、普通の人間より霊威が強いという感覚があったんじゃないか?と思うのですね。菅原道真がただの人間ながらあれだけの祟りを発揮したことを考えると、平家と安徳天皇が時代の流れの中でとはいえ、死んでしまったことは祟りの恐怖が凄かったんです。実際、平家が滅亡した直後に京都で大地震があり、これを平家の祟りではないかと噂が立ちました。

それで作ったのが今社です。今社の創建にはどうも厳島神社の神主だった佐伯景広と平頼盛が関わっています。平頼盛は清盛の弟ながら、源頼朝に「父のように」厚遇された人物で、壇ノ浦の合戦には参加せず、天寿を全うしています(ただし、晩年には表舞台から消えている)。

つまり鎮魂の社というのは、清盛を崇敬するためのものではなく、少なくとも創建した時の目的は「祟りを抑えて、天変地異が起きないようにする」というものです。だから鎌倉幕府も問題視しないんです。

となると佐伯と頼盛には平家に対して何か後ろ暗いものがあった。そう考えるのが自然です。その結果が今社です。

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