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稚児大師
稚児大師の歴史
稚児大師というのは弘法大師(空海)の子供の頃のこと。空海が書き残したという設定になっている「御遺告」という本の中に「吾れ昔生を得て父母の家に在りし時、生年五六の間、夢に常に八葉蓮華の中に居坐して諸仏と共に語ると見き」とあります。分かりやすく現代語にすると
「僕が生まれてお父さんとお母さんの家にいたとき…5歳か6歳くらいの時は、夢でいつもハスの花の中に座っていろんな仏さまと語っているのを見ていた」
ってな感じ。空海の逸話は多く、誇張があるのだとは思いますが、空海が日本の仏教の土台を作った重要人物であることは間違いなく、また天才だったことも間違いないわけですから、このくらいの誇張があっても別にいいでしょう。
で、この「空海は子供の頃からすごい」ってお話を偶像化・画像化したものが稚児大師です。
「僕が生まれてお父さんとお母さんの家にいたとき…5歳か6歳くらいの時は、夢でいつもハスの花の中に座っていろんな仏さまと語っているのを見ていた」
ってな感じ。空海の逸話は多く、誇張があるのだとは思いますが、空海が日本の仏教の土台を作った重要人物であることは間違いなく、また天才だったことも間違いないわけですから、このくらいの誇張があっても別にいいでしょう。
●御遺告は空海が弟子たちに示した25ヶ条の遺言のこと。実際の空海の作ではないととされています。
で、この「空海は子供の頃からすごい」ってお話を偶像化・画像化したものが稚児大師です。
●後宇多天皇(元寇の頃の人物)が真言密教に傾倒しまして空海大好きになると、正和4年(1315年)に『弘法大師伝』を編纂します。その時に後宇多天皇がこの空海の子供の頃の話を美化しまして、どうもこの頃から「稚児大師」の画像・偶像化が始まったよう。。
大聖院の稚児大師
設置の位置から考えると一願大師とセットで置かれたっぽい。一願大師は極楽寺の一願堂の出張所だから、稚児大師も作られたのは新しいはずです。見た目にもデザインが同じ系統だし、堂も像も同じくらいの古さ(というか同じくらいの新しさ)ですからね。
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