極楽寺(廿日市市)

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極楽寺(廿日市市)

まとめ
●めちゃくちゃに眺めがいい。
●車で行くしかない。
●アルカディアビレッジの近く。
●731年(天平3年)に行基が開山して、聖武天皇が建てたとされる寺。
●本堂は1562年に毛利元就が建てた。
●実際に行基が開山したというのは怪しいが、厳島とともに、この土地が特別視されたのは間違いない。
●ヤマタノオロチが住んでいたという蛇の池がある。
●一願堂がある。

極楽寺の情報

極楽寺は731年(天平3年)に行基が開山してその後、聖武天皇が建てたとされる寺。

寺の本尊の十一面千手観世音菩薩坐像は行基作、のち、弘法大師が大同元年(806年)に開眼したと伝えられる。現在の唐様式仏殿の本堂は毛利元就が1562年に建てた。昭和55年に建立された阿弥陀堂には国内最大級の木製阿弥陀如来像がある。かなり景色が良い。真言宗の寺。ヤマタノオロチが棲んでいたという伝説が残る蛇の池がある。

阿弥陀如来大仏

9年の歳月を要して造られた寄せ木造りの大仏で、高さは台座を含めて8m、横幅5.5m。2.5トンの重さ。あまりの重さに台座はコンクリート。

一願堂

一願堂には佐和隆恵大僧正という極楽寺のお坊さんが昭和33年に「即身仏」になって入っています。即身仏の上にお堂が建っている状態です。即身仏を「見る」ことは出来ませんよ。ここでお願いをすると一つだけ叶うとされます。
●コレ、すごくないですか??
大聖院一願大師はこの一願堂からの勧請ではないかと思う。

行基の意味

極楽寺山を開山したのが行基とされます。行基とは奈良の大仏の建立に尽力した坊主。日本の古代では、例えば道や橋や井戸などのインフラは地方の集落が自分たちに作るものでした。で、道や橋は集落と集落を結ぶもので、複数の集落から資材や労働力を提供します。となると、どちらか一方の集落がインフラ工事の主導権を握ると、不公平な工事をしかねません。そこで、中心になる人を部外者から呼び寄せるんです。でも、身元のはっきりしない人は怖いですよね。そこで、担ぎ出されるのが「坊主」なんです。その奈良時代の代表が行基。平安時代の代表が弘法大師。

坊主は公共事業の象徴
こういう行基や弘法大師の名前があちこちに残っているのは、実際に関わったとは限りません。そういうインフラ工事をする坊主と言えば代表的な名前で、別人でも坊主が仲介したら行基や弘法大師になった可能性もあります。

聖武天皇の意味

で、極楽寺の情報を見ると、行基が極楽寺を開山しているんですが、本当かどうかは怪しいです。それに極楽寺を建てたのが「聖武天皇」というのもどうも出来過ぎ。本当でしょうか。聖武天皇というと、行基が尽力した東大寺の大仏を建てた天皇です。聖武天皇の要請があって行基が建てたというべきかな。この二人がセットで登場しているってのはねー。まー、後世の創作でしょう。

ただ、真向かいの宮島が弘法大師が開山したとされていることを考えると、極楽寺山と宮島の間の海域が古代から要衝だったのは間違いないです。だから歴史はちゃんとあると思います。

見晴らしがいい

極楽寺に行って見るとわかるんですが、めちゃくちゃ見晴らしがいいです。この海域が一望できます。細かい歴史の知識がなくても、十分一見の価値のある景色です。ここから海域の船を監視していたんじゃないかと思います。

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