清盛神社祭

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清盛神社祭

名前清盛神社
時期毎年3月20日(3月20日が清盛の命日とされるため)
時間午前11時から
場所午前11時から西の松原の清盛神社で祭典が行われ、正午から厳島神社高舞台で舞楽が演奏される。舞楽を見るためには厳島神社に参拝料(大人300円)を払って入場しないといけない。
春を呼ぶ宮島清盛まつり
清盛神社祭とは別に「春を呼ぶ宮島清盛まつり」というのがあり、そちらは平安時代の衣装を着て行列をなして、宮島桟橋から清盛神社まで練り歩くというイベントです。名前が似ていてややこしいです。もちろん開催日は別。春を呼ぶ宮島清盛まつりは3月20日以降の日曜日に開催。

清盛神社と枕崎台風

昭和20年(1945年)9月、終戦直後に枕崎台風がやって来て、宮島は土砂崩れに見舞われ、厳島神社はかなり倒壊してしまいました。この時の境内に流れ込んだ土砂で運んで大きくなったのが西の松原です。西の松原はそれ以前から、境内に堆積する土砂を寄せて伸びていたのですが、この時の土石流でかなり大きくなりました。そのくらいに、この時の土石流は凄かったんですね。

その厳島神社や松原の工事をしていた昭和26年(1951年)が平清盛の命日から770年だったことから、翌年の昭和27年(1952年)から始まった「祭り」。ただし、昭和27年の時点では「清盛神社」はまだ創建されておらず、平清盛は「三翁神社」にあったので、昭和27年28年は三翁神社で祭典が行われた。

清盛の命日は3月20日なので、それにちなんで行われるが、3月は宮島の観光シーズンの幕開けの時期でもあり、そういう意味もある。

ところで、戦前は天皇を中心として政府だったので、朝廷にたてついた平家は「朝敵」で悪者でした。しかし、戦争に負けたことで、日本の新聞社は天皇を否定し始めます。そういう潮流で始まったのが吉川英治の「新平家物語」でした。この作品内で平清盛は悪者ではなく、生き生きとした人間として描かれるようになり、再評価されるようになります。それが清盛神社祭の土台なんですよね。時代が変われば評価も変わる。

ところで枕崎台風による土石流が清盛神社がある西松原が生まれた原因なんですが、この土石流も戦争末期に燃料がなくなった日本が宮島の木を切ってしまったことが大きな原因なんです。そういう意味でも、戦争ってなんだろう?と考えるキッカケにしてもいいかなと思います。

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