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正覚院
奈良時代の創建
創建
皇極天皇三年(644)に平良岩木普明がこの土地に住むようになります。平良岩木普明の「平良」は廿日市の地名。岩木は宮島の三翁神社・速谷神社内の岩木神社などにも祀られる名前で、古代の有力者の名前。「平良岩木普明」はその有力者のフルネームに当たるのかもしれない。
寺の建立
養老元年(717)に彼が頭を剃って念仏を唱えていると、行基がやってきて寺を建てて、「篠尾山大乗寺」できたというのですね。ほんまかいな。その後、行基の法相宗から空海の真言宗に乗り換え。改宗は「空海が弥山を開いた時」ということになっていますが、空海と弥山が結びつくのは、空海を信仰する真言宗の坊さんが宮島に関わるようになる室町時代のことで、真言宗の改宗はその頃のことでしょう。
皇極天皇三年(644)に平良岩木普明がこの土地に住むようになります。平良岩木普明の「平良」は廿日市の地名。岩木は宮島の三翁神社・速谷神社内の岩木神社などにも祀られる名前で、古代の有力者の名前。「平良岩木普明」はその有力者のフルネームに当たるのかもしれない。
寺の建立
養老元年(717)に彼が頭を剃って念仏を唱えていると、行基がやってきて寺を建てて、「篠尾山大乗寺」できたというのですね。ほんまかいな。その後、行基の法相宗から空海の真言宗に乗り換え。改宗は「空海が弥山を開いた時」ということになっていますが、空海と弥山が結びつくのは、空海を信仰する真言宗の坊さんが宮島に関わるようになる室町時代のことで、真言宗の改宗はその頃のことでしょう。
鎌倉時代
貞応年間(1222~1223)に桜尾城に厳島神社の神主の藤原親実がやって来ると、「桜尾城祈願所」とされます。当時は戦争は神仏が司っているものでしたから、桜尾城の安全を守る仏となったってことです。
室町時代から戦国時代
文明10年(1478年)藤原奥親が不動明王を勧請します(現在の厄除け不動尊)。先祖の藤原親実のためにお堂を建て、この時から正覚院と名乗るようになります。
江戸時代から明治
江戸時代に入った慶安五年(1652年)に桜尾城にあった天満神社を正覚院の隣に移設。正覚院と天満宮は隣同士というか同じものとなり、廿日市氏神社(=廿日市の土地の神様)となる。現在でいうとM&Aみたいなものです。
それが明治維新後の神仏分離で別々(正覚院と天満宮)になります。
それが明治維新後の神仏分離で別々(正覚院と天満宮)になります。
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