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廿日市天満宮
名前廿日市天満宮(ハツカイチテンマングウ)
祭神菅原道真(=天神)
ご利益学業成就、合格祈願、芸事(和歌・書道など)
場所廿日市市天神、正覚院の隣。かなり急な道を登ることになります。登ると非常に眺めがいいです。
祭神菅原道真(=天神)
ご利益学業成就、合格祈願、芸事(和歌・書道など)
場所廿日市市天神、正覚院の隣。かなり急な道を登ることになります。登ると非常に眺めがいいです。
アクセス
広電市内電車の廿日市駅から歩いて2分。
JR廿日市駅からなら歩いて4分。
JR廿日市駅からなら歩いて4分。
鎌倉時代に天神が桜尾に
平安時代までは佐伯氏が厳島神社の神主でした。厳島神社を修造した張本人ともされる佐伯景弘は、鎌倉幕府によって神官から引き摺り下ろされます。それで新しい神主が任じられます。それが藤原氏(藤原親実)です。藤原氏は桜尾城をこの頃(13世紀)作ったようです。
天福元年(1233年)に鎌倉の荏柄天神を守護神として勧請しました。勧請先は現在の場所ではなく「桜尾城」です。桜尾城を守るための神様でした。
天福元年(1233年)に鎌倉の荏柄天神を守護神として勧請しました。勧請先は現在の場所ではなく「桜尾城」です。桜尾城を守るための神様でした。
戦国時代に荒れ始め、江戸時代に再建
藤原氏は戦国時代まで続きましたが、天文2年(1533年)、周防の大大名の大内氏が藤原氏の子孫…友田興藤を殺して、厳島神社神主家の藤原氏は滅亡。厳島神社の神主家は「佐伯」が復活するのですが、桜尾城は関ヶ原の合戦以後に毛利氏が安芸国からおいやらされると廃城になり、桜尾城の天満宮も神主不在のままで荒れ果ててしまいます。
江戸時代に入り、慶安5年(1652年)に荒れた天満宮が再建し、正覚院の隣の現在の場所に移設します。
江戸時代に入り、慶安5年(1652年)に荒れた天満宮が再建し、正覚院の隣の現在の場所に移設します。
明治以降
明治維新後の神仏分離の時までは正覚院と廿日市天満宮は同じ敷地内の同じものだったのですが、現在は分離し、別々のものになっています。場所は変わっていないんですが。
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