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紅葉谷公園(モミジダニコウエン)
アクセス
江戸時代から涼を取る場所
厳島神社の南東に「紅葉谷川」とか「御手洗川」とか、かつては「御陵川(御霊川)」と呼ばれる川が流れていて、これの上流にあるのが「紅葉谷公園」です。江戸時代に書かれた厳島図会にも紅葉谷川で涼む人たちが描かれていて、現在でも、夏になると川の水に足をひたす人たちが見られます。あと、夏は鹿も涼んでいます。暑いんでね。
谷原糜鹿
秋になると紅葉谷というだけあって、紅葉が綺麗です。江戸時代の中期に選ばれた厳島八景では「谷原糜鹿(ヤツガハラビロク)」として挙げられています。糜鹿というのは「大きな鹿」のこと。谷で見られる大きな鹿のこと。ちなみに平家納経の表紙にはススキに鹿が描かれていて(ススキに鹿は江戸時代初期の福島正則の時代に追加したもの)、宮島といえば「鹿」というのは江戸時代の初期には一般的なイメージだったよう。
設立の経緯
明治6年(1873年)に明治政府が各都道府県から「公園」とするべき土地の候補地をあげるように支持し、宮島がこの土地をあげたことで明治7年(1874年)に「厳島公園」として成立しました。
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