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光明院(コウミョウイン)
宗派浄土宗
名前華降山以八寺光明院
住所廿日市市宮島町395
創建天正11年(1583年)以八上人(イハチショウニン)が開いた寺。
仏像木造阿弥陀如来立像(鎌倉末期)、絹本紺地金彩弥陀三尊来迎図(室町時代)を所蔵している。
以八上人は専属時代に来島し、宮島の念佛信仰を広めた人物。二位の尼を祀る神泉寺が裏にあったが、現在はない。
名前華降山以八寺光明院
住所廿日市市宮島町395
創建天正11年(1583年)以八上人(イハチショウニン)が開いた寺。
仏像木造阿弥陀如来立像(鎌倉末期)、絹本紺地金彩弥陀三尊来迎図(室町時代)を所蔵している。
以八上人は専属時代に来島し、宮島の念佛信仰を広めた人物。二位の尼を祀る神泉寺が裏にあったが、現在はない。
アクセス
以八上人と袋中上人
光明院を開いた以八上人も本を書いているんですが、この弟の袋中上人という浄土宗の僧侶は大量の本を書いていて有名です。非常に仏教の勉強に熱心な袋中は52歳にして「海外留学」を思い立ちます。この時、兄である以八上人は議論をして止めています。その時は、海外留学を諦めた袋中ですが、結局は出発。しかし船が漂流し、一度はフィリピンに行って、沖縄にたどり着きます。沖縄で袋中は第二尚氏王統第7代国王・尚寧王などの援助を受けて浄土宗を沖縄で広めます。この時の影響が沖縄の先祖送りの踊りの「エイサー」に見られます。
誓真が修行した寺
江戸時代の後期、光明院に「誓真(セイシン)」というお坊さんが現れます。元々は広島城下で米問屋をしていたのですが、一念発起でお坊さんに。その後、井戸を掘ったり(誓真釣井)、しゃもじを宮島の特産物として売り出すなどして、宮島の恩人・ヒーローとなりました。この誓真は光明院で修行し、光明院のすぐ近くの神泉寺というお寺で番僧をします。
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