鹿戸

MENU
TOP >> 鹿戸宮島 歴史 鹿
スポンサードリンク

鹿戸とは?

宮島に鹿が住んでいて、住居の付近をウロウロしています。
すると家の中にまで入ってきて、悪さをすることがあるんです。
そこで鹿が家の中に入れないように、格子戸を設置するようになりました。
それが「鹿戸(シカド)」です。
現在でも林家住宅(厳島神社の神官家)などには鹿戸が残っています。
まとめ
●鹿が家に入らないようにするためのもの。
●島民と鹿が共存するための知恵。
●宗教上の理由から島で、鹿は殺せなかった。

鹿戸と神道

穢れてはいけない島の事情
神道では穢れを嫌います。神社の入り口に手水舍という手を洗い、口をゆすぐ施設がありますよね。あそこで、どうして手を洗うのかというと、それは「穢れ」を落とすためです。穢れを落として綺麗になって、それで神社の境内…つまり「神の領域」にはいるわけです。穢れた人は神社の境内には入っちゃいけないんですね。

それだけ穢れに敏感ですから、島全体が信仰の対象となっている(という設定の)宮島では血を流してはいけないのです。血は穢れそのものです。血が島に流れるということは、島が穢れます。これはダメですよね。だから宮島で鹿は殺せない。

鹿戸と仏教

仏教も殺生禁止
また仏教でも「殺生」は禁止しています。
仏教の場合は、輪廻転生という世界観があり、輪廻転生をする以上は、すべての動物は「かつては人間だった」かもしれないし、「これから人間になる」かもしれません。だから、動物を殺すということは、人を殺すのと一緒なんです。だから殺しちゃだめ。当然、しかも殺しちゃいけない。

仏教の殺生禁止と神道の穢れ信仰は、理屈は全然違いますが、「殺すな」という結論だけで言えば、同じものです。

日本人は食べていた…けど

だから「鹿を殺す」わけにはいきません。
ただ、普通の地域なら、殺して食べちゃうのですね…
変だと思いましたか??
日本では全国的に神道と仏教ですから、神道と仏教が理由で「鹿を殺さない」ってなら、日本中で殺されないわけで、全国的に鹿が溢れかえってないとおかしいですよね。

実際には、食べてるんですよ。
肉食は隠れた文化
日本では天武天皇の時代から肉食が禁止されていたのですが、それはそれ。表立っては食べていませんでしたが、隠れては食べていました。体裁は悪いですが、肉ってのは美味しいのですから我慢できずに日本人も食べちゃってたんです。それに鹿ってのは見た目はかわいいですが、農業から見れば「タチの悪い害獣」です。追っ払っても、殺さないとまた畑にやってくる。それじゃ困るので、他の地域では捕まえて殺して食べてはいたんですよ。
●隠れて食べてはいたのですが、体裁が悪い。そのために、日本人はたんぱく質の絶対的摂取量が不足しがちです。この不足したたんぱく質を補っていたのが「大豆」です。
●大豆の植物性たんぱく質は日本人にとって必須でした。大豆が豆腐を作り、豆腐から様々な食品を作りました。肉食しない日本人にとっては、たんぱく質は栄養だけでなく「たんぱく質の旨味」も貴重でした。だから「醤油や味噌」という調味料も大豆由来なんです。
●宮島独特の大豆料理がもあります。それが雪花漬けです。

宮島ではダメ

でも宮島では許されない。
鹿を殺せば、島が穢れる。
それに江戸時代から鹿も観光資源だったんじゃないかと。

だから宮島では鹿と共生しなくちゃいけません。
その結果の一つが「鹿戸」なんです。

スポンサードリンク

ブログや掲示板に紹介する場合

ブログやサイトに紹介する場合(タグ)

編集