平安時代までの厳島神社の歴史書の記述

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平安時代までの厳島神社の歴史書の記述

593年
推古天皇元年(593年)に佐伯鞍職(サエキノクラモト)により、厳島神社が創建される。ただし、社伝(神社の言い伝え)による情報で、他の書物(日本書紀など)の記載はない。
811年
日本後紀(840年成立)によると811年の記事に記載がある。
「安芸国佐伯郡速谷神、伊都岐嶋神」
おそらく現在の速谷神社厳島神社と思われます。記載の順番は「社格」ですから、速谷神社の方が上ということです。
857年〜886年
日本三代実録(901年に成立、内容は清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の857年から886年までの書物)には「伊都岐嶋中子天神、伊都岐嶋宗方小専神」とあります。この伊都岐嶋は現在の宮島(厳島)のことですが、「厳島神社」を指しているのかは怪しい。あくまで「厳島という島の中にある天神や宗方の神」という意味かもしれない。特に「宗方」というのは現在の厳島神社に祀られている「宗方三女神」のことで、「伊都岐嶋宗方小専神」という表現である以上は、「伊都岐嶋=島のこと・島の名前」であって「伊都岐嶋」は「厳島神社そのもの」を指しているわけではないと考えた方が自然でしょう。
927年
延喜式(927年成立)によると「速谷神社・多家神社」とともに「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」と記載があり、「名神大」とされます。名神大というのは名神大社で、古来から霊験あらたかとされる古社を指しています。よって、伊都伎嶋神社はかなり古い神社だ、という認識が10世紀にはあったということです。
1168年
1168年 現在の海上神殿が修造される。ただし一部の柱から10世紀のものが見つかっていて、この海上神殿がこれ以前からあったのか、それとも陸上の神殿を海上神殿に作り替えたのかはわからない(自然に考えればこの時に海上神殿になったのだろうが、明確な資料はない)。

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