厳島神社と大日如来

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厳島神社と大日如来

まとめ
●古事談には「伊勢神宮と厳島神社だけが日本で大日如来を本地としている、という記述がある。
●建春門院が厳島神社に祝詞を収めているが、この中に「大日」という記述がある。12世紀には「大日堂」がすでにあったのではないか?(ただし大日堂が創建されたのは14世紀とされる)
●少なくとも大日如来信仰はすでにあった。
厳島神社を伊勢神宮にしようとしたのではないか?

清盛が厳島神社を収蔵したキッカケ

清盛が厳島神社の修造を思い立ったキッカケとされる物語が「平家物語」や「古事談」という鎌倉時代の本にあります。そこには平清盛が老僧に
「日本で大日如来を本地としているのは伊勢神宮と厳島神社だけだ。
安芸守であるあなたが、厳島神社を崇敬すれば子孫は繁栄するだろう」

と言われたから厳島神社を修造したのだ、とされています。
●ただし古事談は史実が書かれているのかは怪しい本です。噂話をまとめている程度のことです。それでも当時の人たちが「どう考えていたか?」ということを知る上では大事な資料です。

厳島神社修造当時の状況

清盛が創建した当時の厳島神社の神は現在の宗像三女神・市杵島姫神ではなく「伊都岐島大明神」です。この神様が「太陽神」だったのかもしれませんが、後鳥羽上皇の奥さんの建春門院が厳島に来て祝詞をあげていて、その中に「大日」という言葉が見られるのです。どうやらこの時代にはすでに弥山に大日如来を祀る施設(大日堂?)があったようなのです。
つまり厳島神社と「太陽=大日如来」はつながっていました。
●そもそも弥山は空海が開いたとされます。空海の真言宗は「修行して大日如来に近づこう!」ってものです。
●空海が弥山を開いたというのは、当然、史実かどうかは分かりません。
●大日堂は14世紀に創建されたとされる。ただそれ以前から大日如来信仰は宮島(弥山)にあったハズ。

厳島と伊勢

問題は伊勢神宮と厳島神社だけが大日如来を祀っているという伝承です。
これは暗に「厳島神社は伊勢神宮と同等だ!(本来は同等なんだから、厳島神社をしっかりと修造して盛り立てなさいよ!って意味です)」と言っているわけです。
厳島神社の創建は古い(593年)ですが、それも神社の社伝にのみ見られるもので、他の書物にはありません。だから、どこまで本当かなんて怪しいものです。厳島神社が急激に出世するのは12世紀の海上神殿修造前後でそれ以前は速谷神社(厳島神社の北にある神社)よりも社格は下。今でこそ日本を代表しかねないほどの立派な神社ですが、それ以前はペーペーです(もちろん安芸では凄いんですよ。でも伊勢神宮と比べるとね)。つまり本来、同列に語られるべきものではない。一緒に並べられることが不思議なんですね。それが暗に「天皇の先祖を祀る伊勢神宮と同格!」と言われるわけですから、そこには何か理由があるんじゃないか?

私はその当時(平安末期)に「厳島神社を伊勢神宮」にしようとしたんじゃないか?と思います。そういう意図があったのではないかと。

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