大日堂(ダイニチドウ)…弥山にある空海由来の元神護寺

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大日堂(ダイニチドウ)

創建伝承によれば806年に弘法大師空海によって修行の道場として創建されたとも。1376年(永和2年)に「弥山御堂神護寺」として再建。1599年(慶長4年)に毛利輝元によって再建(現在の大日堂はこの時のもの)。
本尊大日如来(空海作といわれる)・不動明王(不動明王像は大聖院の観音堂に安置してある)
建築方形造り、銅葺き。

明治以前は正月七日間全島の僧が登山して、修正会(シュショウエ)を勤修し国家安定を祈願していました。

アクセス

弥山の頂上の弥山展望台の近くに「干満岩」への標識があって、その干満岩へと降りていくと干満岩の下に大日堂がある。弥山本堂三鬼堂→弥山頂上(弥山展望台)→干満岩→大日堂→弥山本堂と巡れば効率よく回れます。

歴史

伝承によれば平安時代の806年に弘法大師空海(真言宗)が創建したとされるのですが、弥山が空海と関わるようになったのは、のちの時代で平安時代には空海とは無関係。むしろ9世紀の宮島の寺は天台宗との関係が深かった。では9世紀に何もなかったのかというと、そうとは言えない。
というのも、平安時代末期の12世紀に後白河上皇と妻の建礼門院が宮島に訪れた際に「厳島神社の神は大日如来を本地としている」と発言している。ちなみに大日如来は伊勢神宮のアマテラスの本地仏でもあり、その関係で厳島を後白河上皇は贔屓にした(のかもしれない)。
●後白河天皇は厳島神社に訪れている。京都を離れて宮島に行くことを公家貴族から批判されている。それでも宮島に来ていることから特別視していたと思われる。ただし、後白河天皇は当時としてはかなりの変人で新し物好きでもあるので、後白河天皇がどう考えて来島したのかはなんとも言えない。

どうやら、厳島神社は平安時代以前から大日如来と関係があり、大日堂か、それに準ずるものが(目的は違っていても)何かしらがあった可能性はある(ただし証拠はない)。

神護寺

大日堂は1376年(永和2年)以後は神護寺だった、と言われています。神護寺というのは神宮寺とも別当ともいわれるものです。神仏習合で、神社の神と寺の仏は「同一」とされました。寺の仏を拝めば、神を拝んだことになる。神を拝めば、仏を拝んだことになる。神社を管理していたのが神護寺(別当)です。別当というのは「(本職は)別にあるが、担当している」という意味です。
大日堂はどうやら「厳島神社の別当だった」ということ、そしてその経緯はともかくとして、その神護寺である大日堂が大聖院の管理下にあるということは、厳島神社を管理していたのは大聖院ということになります。戦国時代に厳島神社を大聖院と大願寺が管理していたのは、かなり古い経緯があるのかもしれません。

「歴史」の部分を考慮すると、大日堂は厳島神社の歴史の結構強い「歴史の鍵」なのかもしれません。ただし、ま、よくわからないのですが。実は宮島には秘密が多いのです。

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