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金岡水
江戸時代の「芸州厳島図会」によると廿日市にある洞雲寺を創建した金岡用兼が、座禅をすると湧き出したとされるのが金岡水。金岡用兼は戦国時代の僧侶なので、泉が湧いたのはその頃の話。現在は完全に枯れているが、最近まで水が出ていたらしい。海が近いのに真水が湧き出していました。洞雲寺にも金岡水があり、水脈はつながっている!と言われています。
金岡水の意味
泉が湧いたと言っているのは、ようは金岡用兼が中心となって「井戸を掘った」という意味でしょう。日本ではインフラ整備を行う場合に、中心人物として僧侶を立てて行います。その代表的人物が「空海(弘法大師)」です。
金岡用兼と似たような立場で宮島とゆかりのある人物がいます。
誓真です。
金岡用兼と似たような立場で宮島とゆかりのある人物がいます。
誓真です。
金岡用兼と誓真
誓真は宮島の木工産業を島民に勧めた人物で、井戸も掘っています。その井戸が誓真釣井として今でも残っています。ちなみに誓真は伊予国(=現在の愛媛県)出身です。金岡用兼は讃岐国出身で、空海も四国に伝承をたくさん残している人物です。何か関係があるのではないかなと思いますね。
誓真釣井
誓真が残した井戸(誓真釣井)は現在のフェリー乗り場と町家通りに近い場所に集中しています。この辺りは江戸時代に栄えた場所で、誓真が江戸時代に活躍した人物ですから、当然でしょう。人が集まり、水を必要とするからここに井戸を掘った。しかも誓真は10箇所も井戸を掘ったと言われています(ただし現存するのは4箇所)。一方、金岡水がある「宮島町杉之浦」のあたりは、フェリー乗り場から北に少し離れた場所です。自然に考えると、ここが戦国時代には「発展していた」ということじゃないかと。泉は1箇所ですから、まぁ、発展と言っても江戸時代のそれとは規模が全然違うということです。
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