町家通り

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町家通り

宮島にある古い町並みのところのことで、現在の「お土産屋」「飲食店」が並ぶ通りとは筋が違いますが、一本入ったあの辺りのこと。江戸時代に埋め立てされて広がった土地に立った町並みで、江戸時代にはここに娯楽施設が立ち並んでいました。

昭和になるとここにあった映画館などの施設は消え、現在は宮島に住んでいる人が生活する場としての「通り」となりました。現在でも江戸時代の雰囲気を残す通りで、宮島の隠れた観光スポットでもあります。

町家通りの歴史

宮島に風俗街を移設
江戸幕府は贅沢を禁止しました。そこで1625年、安芸藩は広島城下にあった風俗街(吉原)を、宮島に移設してしまいました。城下にあれば武士が風俗街に行くから?じゃないかと思います。でも風俗街とて経済の一部。無くしてしまうのは藩の財政にとってもマイナスです。それに庶民の楽しみですしね。無くすことはしなかった。

それで移設された宮島の風俗街でしたが、明治維新が起きて、天皇という神道の象徴的存在が国の権力者になると、宮島という神聖な土地に風俗街があるのは「けしからん」ということになって、宮島の風俗街は現在の広島市中区江波にあった「江波島(当時は島)」に移設されました。
そうして風俗街ではなくなった町並みが現在の「町家通り」なんです。
町家通りは吉原の名残。だから「独特の雰囲気」があるのです。
ただの古い町並みではなく、「歓楽街」だったわけです。
●ただし現在、町家通りで江戸時代(つまり歓楽街だった時代)に建造された建物は一軒のみ。

揺れ動く宮島の価値

ところで、宮島の観光地としての発展の中に「風俗街」「歓楽街」「娯楽施設」というのは欠かせませんでした。宮島では富くじ(=現在の宝くじ)も催されて、かなり盛り上がっていました。こういう「宮島=歓楽街」という歴史が、宮島口にある「宮島ボート」という競艇場につながっているわけです。
●宮島競艇場が開場したのが1954年(昭和29年)。だから、直接は関係ありませんが、歴史的に「宮島=歓楽街・娯楽」というイメージがあるから競艇場ができたわけです。
●現在のように「宮島=神聖な土地」というイメージが強いならば、あんなところに競艇場などというギャンブル施設は作らないでしょう。普通。
●明治維新で「天皇が権力者になり、神道が優位になる」と風俗街が宮島から追い出され、戦争に負けて「天皇が人間」になると、宮島口に競艇場ができるというわけです。そして厳島神社が世界遺産に成ると、競艇場はなんだかふさわしくないな、と思うようになると。

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