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遊女石畳
宮島と遊女
江戸時代に入って間もなく、1625年に倹約令が出て、広島城の近くの吉原(=風俗街)はケシカランとして移設されることになり、その移設先が宮島でした。それから明治維新まで宮島は全国的に有名な「風俗島」となります。
その歓楽街の遊女が設置したというのがこの石畳。
当時、弥山への道は整っておらず、安全に弥山堂まで登るのは困難でした。現在でもロープウェイがあるからどうにか登れていますが、徒歩で登るのが当然の当時で、さらに足元が悪いとなれば登るは相当厳しかったはず。
●その歓楽街があったのが現在の町家通り。
その歓楽街の遊女が設置したというのがこの石畳。
当時、弥山への道は整っておらず、安全に弥山堂まで登るのは困難でした。現在でもロープウェイがあるからどうにか登れていますが、徒歩で登るのが当然の当時で、さらに足元が悪いとなれば登るは相当厳しかったはず。
なぜ遊女が道の整備を?
弥山へと登る道を整備する資金を遊女が出したということは、遊女にはそれなりの「財産」があり、弥山に登ることと「風俗街」の間にはつながりがあったということになります。弥山登山と風俗が観光の目玉としてヒキがあったんじゃないかと。また弥山頂上近くに「疥癬岩」という寝床を同じにすることで感染する病気の「疥癬(カイセン)」に関する岩があるのも何かあるんでしょうね。
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