玉取祭(タマトリサイ)…

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TOP >> 玉取祭(タマトリサイ)…宮島 祭り・イベント おすすめ度☆☆☆★★ 厳島神社
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玉取祭(タマトリサイ)

名前玉取祭(タマトリサイ)
日時旧暦7月18日の近くの日曜日…実際には8月中旬下旬。
場所厳島神社大鳥居の間の境内の海。
内容満潮時、大鳥居の内側の海に4本の柱を立てた櫓(ヤグラ)を建て、直径5寸(15センチ)の楠でできた玉(宝珠)を取り合うお祭り。玉を取り合い、手にしたものは厳島神社社殿か西松原御笠浜の注進所(=報告する場所)に持ち込むことで、「幸運」と賞金と賞品がもらえる。
由緒江戸時代までは延年祭と呼ばれていて、宝珠ではなく恵比寿・大黒の福神像を奪い合うものだったという。

江戸時代には玉を取り合ってない
宮島歴史民俗資料館ではこの玉取祭のイラストが展示されていて、取り合っている若者がチョンマゲなんですが、実際には江戸時代には玉を取り合っていない。
ところで「玉」ってのは仏教的なアイテムなんですね。だからこの儀式は若干仏教的なものなんです。

江戸時代までは玉ではなく恵比寿・大黒の像を取り合っていたというのですが、その恵比寿と大黒が「神道と関係が薄い」と判断されたのか明治維新の神仏分離の中で廃止されました。
●大黒様は大国主と同一とされますが、本来は大黒天で仏教的。
●恵比寿は神道以前からある正体不明の海洋神。事代主(コトシロヌシ=大国主の子供)・ヒルコ(=イザナギとイザナミの子供)などの神道の神と同一視される。
●大黒様と恵比寿様は七福神。

なぜ玉取りなのか?

なぜ玉取りなのか?…実はよく分かっていない。
明治維新の神仏分離で仏教はダメージを受けるんですが明治8年には、締め付けは緩まります。玉取祭はその前後から復活したお祭りであって、仏教の復活が背景にあるよう。ただ、玉取祭り自体は全国各地にあり、そこからパクったのではないかと思う。あの地域で政府に怒られずにやってるんだから、うちでもやってもいいだろうって感じで。神社や寺はイベントごとが収入になるのですから、イベントは増やしたいので。

延年祭とは

延年というのは寺院で大法会(=仏教儀式)が行われた後にある大イベントのこと。踊りあり(舞楽)、演奏あり、歌(白拍子、小歌)があり、その他諸々(散楽・猿楽)の芸能イベント。人を集めるイベントだったよう。平安時代から始まり、鎌倉・室町までは盛んだったが江戸時代には廃れてしまった。その延年の雑多あるイベントの一部が宮島では「恵比寿と大黒の福神像を奪い合う」もので、それが現在まで残っているだけ。それが玉取祭。延年=玉取ではないです。

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