桃花祭

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桃花祭

場所厳島神社能舞台
日時4月15日(舞楽=桃花祭神事)・16日から18日(神能=桃花祭御神能)
内容厳島神社能舞台で舞楽や能が演じられる。
由来室町時代に桃の花を厳島神社に供えたのが始まりとされているが、実際は厳島神社で行なっていた春の大法会の名残。戦国時代まで旧暦3月(現在の4月)と9月(現在の10月)に大法会を行い、そこで神能(=神に奉納する能)や仏教儀式を行っていたが、旧暦6月に行なっている管絃祭が室町時代に始まり、江戸時代には管絃祭の方が盛んになり、3月9月の法会は縮小していった結果、桃花祭と菊花祭になっていった。

15日の舞楽…17時から

15日の夕方に行われる舞楽。舞楽は中国・朝鮮から渡来した芸で、神に奉納される。
振鉾(エンブ)…舞楽を演じる前に行われる。文字通り鉾を振るものですが、舞楽というよりは儀式に近いもの。
萬歳楽(マンザイガク)…隋の煬帝(在位604~618年)・唐の武太后・漢の武帝(在位紀元前141~紀元前87年)などが作らせたという説がある舞楽。賢君の時代には鳳凰が飛んで来て「賢王万歳」とさえずるといわれていて、その様子を舞っているもの。
延喜楽(エンギガク)…延喜(901年から923年)に式部卿敦実親王が舞を作り、藤原忠房が曲を作った。つまり日本製の舞楽。

桃季花(厳島神社の神に桃の花を供える)

一曲(イッキョク)…左の舞人は鶏婁鼓(ケイロウコ)と振り鼓、右の舞人は二鼓を鳴らす曲。
曽利古(ソリコ)…応神天皇(4世紀)の時代、酒造職人の百済の帰化人須須許理(ススコリ)がこの舞いを伝えたと言われています。よく分からない特殊な舞楽。
散手(サンジュ)…腰に剣をさして舞う。釈迦が生まれた時に作られた雅楽とも、神功皇后(4世紀の仲哀天皇の妻)が朝鮮征伐をした時に作られた曲とも言われています。
貴徳(キトク)…刀を腰にさし、鉾を持って舞う。漢代の肅慎国(中国北東部の民族)の帰徳の故事によった舞とも。「帰徳」と書かれることもある。
陵王(リョウオウ)蘭陵王とも。中国の北斉の国王蘭陵王長恭が戦争で勝利する様子を表した舞楽。妙な猿のお面を被っていて、宮島口フェリー乗り場にこの陵王の像が立っているので見覚えがあるのではないかと。ちなみに、凄いイケメンで面を外すと、兵士が見とれて戦争にならないので被っているそうです。
納曽利(ナソリ)蘭陵王との答舞…つまり上の陵王の舞楽とセット。雌雄の龍が昇天する姿を模しているといわれ、別名、双龍舞といいます。
長慶子(チョウゲイシ)…曲だけで舞はない。舞楽の最後に演奏される。源博雅が作ったとされる(つまり国産の舞楽)。

16日以降の神能

16日以降は神能が演じられる。神能は神に捧げられる能。
16日からは「能」で、これらは「桃花祭御神能」と呼ばれる。

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