博奕尾(バクチオ)…厳島合戦などで軍が通った尾根

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博奕尾(バクチオ)

包ヶ浦と厳島神社との間にある「山」の頂上のこと。
どうして博奕尾という名前なのかは不明。
厳島合戦で毛利軍が通ったことで有名。
まとめ
●厳島合戦で毛利軍が包ヶ浦から博奕尾を通って厳島神社側へと抜けた。
●田賀谷(瀬戸内海の海賊)が厳島神社の神領衆ともめた時にも、同様に包ヶ浦から博奕尾を通っていることから、このルートは「知られたルート」だったと思われる。

アクセス

厳島合戦と博奕尾

毛利元就と陶隆房(陶晴賢)が戦った「厳島合戦」で、村上水軍の援助を受けた毛利元就が、地御前神社のそばの火立岩から包ヶ浦に上陸して、包ヶ浦から博奕尾を通って、厳島神社側に出て、陶軍を不意打ちした。不意打ちというか挟み撃ちですね。
詳細は以下のリンクをどうぞ。

ちなみに、陰徳太平記では包ヶ浦に上陸した毛利元就は「ツツミは打つもの!となれば、敵を討ったも同然!」と兵を鼓舞し、博奕尾にたどり着くと毛利元就は「バクチは打つもの!となれば敵を討ったも同然!」と兵を鼓舞した、って話があります。

多賀谷氏の暴戻と博奕尾

しかし「棚守房顕覚書8 多賀谷氏の暴戻」を見ると厳島神社の神領の人たちと田賀谷という海賊が揉めたことがありまして、その時も兵が杉之浦から「博奕尾」を経由して移動しているのを見るに「博奕尾を経由する」ことは決して「不意打ち」ではなく、宮島では「知られたルート」のはずなんです。

あと毛利元就は村上水軍の協力を得ていたこと、田賀谷は海賊だったことを考えると「海賊は博奕尾ルートを知っていた」ってことじゃないかなと。

もしくは単に陶隆房は宮島の地理に詳しくなかったから、分からなかった…ってことかもしれない。

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