千畳閣にも月と日の意匠がある

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千畳閣にも月と日の意匠がある

大鳥居には鳥居の東西には「月」と「日」があります。
この理由はハッキリとは分かって居ませんが、陰陽道と関係していると言われて居ます。
それと同じものが千畳閣にもあります。
千畳閣の東にも「日」、西にも「月」が描かれて居ます。

千畳閣の西側は…

こちらが厳島神社側…方角でいえば「西」。
ズームアップすると…

さらにズームアップ!!

屋根のてっぺんに「月」が見えるのが分かりますでしょうか。
月と言っても「三日月」ですね(大鳥居もそうですが)。

で、こちらが五重塔側…方角で言えば「東」。

こちら側もズームアップ!

こちらには「日(太陽)」が見られます。
こちらはまん丸な「日」です。

なぜ千畳閣(大経堂)に月と日の意匠があるのか?

なぜか? は分かりません。
もしかすると千畳閣のそれは大鳥居のそれを模しただけかもしれませんが。

ちなみに、現在の大鳥居は明治に再建されたものですが、これはそれ以前の大鳥居を模して作られて居ます。その経緯を考えると現在の大鳥居のオリジナルはおそらく、大内義隆が戦国時代に建てたものです。その時代から「月・日」の意匠があったかどうかは分かりませんが、時代は多少離れているとはいえ、同じく戦国時代に作られた千畳閣にも同様に「月・日」の意匠が描かれているというのは意味のあることなんでしょう。

千畳閣の東にあるものは大阪城。
大阪城は言わずと知れた豊臣秀吉が築城した歴史的名城で、秀吉の本拠地です。
千畳閣の西の先にあるものは佐賀の名護屋城だとも。
名護屋城は佐賀に秀吉が作らせた、朝鮮出兵のための本拠地で、現在は城跡しかありません。名護屋城の築城を秀吉が命じたのは1591年。千畳閣の造営を命じたのは1587年。果たして、名護屋城と千畳閣が関わっているのかは、なんとも言えませんが、秀吉といえば「金の瓦」。大阪城も金の瓦でした(現在の大阪城は金の瓦ではないが、出土はされている)。名護屋城も城跡から金の瓦が出土しているので、金の瓦だったのは間違いありません。千畳閣も金の瓦でした。大阪城と千畳閣と名護屋城が並んで居て、千畳閣が繋いでいる、というのは(本当かどうかはともかく)ありうる話ではあるんですよね。

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