たのもさん

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TOP >> たのもさん宮島 神道 おすすめ度☆☆☆☆★
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たのもさん

まとめ
四宮神社の祭り。
●たのも船にお供え物を乗せて海から流す。
●旧暦8月1日に行う。

どんな祭り?

毎年旧暦8月1日に行う宮島のお祭り。8月1日を八朔と言います。「朔」は「一日」のこと。ちなみに旧暦は太陰暦ですから、月を暦の基準にしていて、毎月1日は必ず「新月」です(ちなみに15日は必ず満月だから十五夜と言う)。つまり月が全く無い状態です。
正確には四宮神社(シノミヤジンジャ)のお祭り。
たのも船
「たのも船」と呼ばれる小さな小舟を作り、そこに火を灯して、賽銭やおはぎや人形や果物などを入れて、厳島神社火焼前御笠浜西松原などから流す。その流した船は向かいの廿日市で昔は回収していた。その船を畔に飾ると田んぼは豊作になると言われていた。
当時の午後6時に四ノ宮神社に集まり、そこでお祓いをして、8時ごろに船を流す。
「タノモ」と言うのは「頼む」と「田の実り」をかけた名前だと思われます。

詳細

http://www.miyajima.or.jp/event/event_tanomosan.html から引用
船内に乗せる団子人形は、新米の粉で練った三角錐の団子(高さ2cm位)をつくり、頭部には正方形の色紙を折り曲げ、斜めに貼り、深編笠(ふかあみがさ)をかぶせます。
また肩から腋下に細長い色紙を貼り「たすき」としたり、長方形の色紙を縦長に張って「前かけ」として、素朴でかわいい踊り子姿の人形とします。細長い板の上に並べる人形は、家族や親戚の数とし、その左右に団子の犬や胴長の太鼓を置いたり、大吉と書いた幟を立てたりします。

その後には、細い竹を半月形の弓張りに曲げ、和紙を貼り、すすきや満月など秋の景色にふさわしい絵を描きますが、現在は厚紙で代用しております。

これらのお人形や果物・さい銭等を乗せた船は、対岸のお稲荷様を慰める踊りに行くための船ですから、金紙や銀紙、また色紙・千代紙等できらびやかな装飾をします。管絃祭の御座船をまねた船が多く、屋形を設け、帆を張り、船の回りには可愛い提灯・幟・旗・かがり火などを飾り付けます。およそ2~3週間かかって完成させます。

なぜ8月1日?

8月にこのお祭りをするのは徳川家康が江戸城に入った日が8月1日で、これに習って各地で風習があったと書いてあるんですが、まぁ、宮島のたのもさんとは関係があるとは思えない。たのもさん自体がそれ以前からあったかどうかはともかく、似たような風習はそれ以前からあったんじゃ無いでしょうか。

おそらくこの風習は穀物神を対岸に送る性質があったのだと思います。

たのもさんの意味

宮島がどこまで神の島であったのかは疑問ですが、やはり島が特別な性質を持っていたのは間違いありません。中四国では宮島の弥山が「死んだら行く場所」と言う認識がありました。日本では死後の世界というのは神の世界であり、神の世界というのは農作物を育てる穀物神が住む世界です。死者と神が「同一視」される日本ならでは感覚です。日本は海の向こうや山の向こうの異界から穀物神がやってきて、その穀物神が田畑に宿って、その霊威によって作物が育つという感覚がありました。じゃあ、対岸の廿日市や大竹の人たちにとって有難い穀物神がどこから来るのか?と考えると、そりゃ宮島でしょう。宮島から寄せた神なら、ここいらで一番、良い作物が採れそうでしょう。それで船に乗せて、対岸に送った。少なくとも対岸の廿日市側の解釈はそうだったと思います。

ただ、それは江戸時代の話で、元々の元々のたのもさんは、単なる彼岸の精霊流しとか灯籠流しの類だったと考えた方が自然に思えます。

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