厳島神社多宝塔・宝山神社…薬師如来を祀っていた施設

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多宝塔

名前厳島神社多宝塔・宝山神社
祭神加藤清正
建築三間多宝塔、杮葺き
創建大永3年(1523年)
江戸時代までは薬師如来を祀っていたが明治維新後の廃仏毀釈の中で薬師如来は大願寺に移設された。つまり、本来は大願寺所属の建築物。現在は多宝塔に本尊はない。代わりに明治13年(1880年)に宝山神社となり、加藤清正が祀られたが、大正7年(1918年)に加藤清正は豊国神社千畳閣に合祀されました。
●神社となることで廃仏毀釈を免れた…ような気がするんですが明治10年には廃仏毀釈の動きは弱まっていて、なぜ宝山神社になったのかはよく分からない。

多宝塔の設備

現在こそ厳島神社の所属になっていますが、完全な「仏教施設」で、梵字をくりぬいた蟇股(カエルマタ)や、貫(水平の木材)の先が拳鼻になっている「大仏様(=天竺様=仏教の建築様式)」になっているところや、台輪(=柱の上の厚板)も禅宗様になっているところも仏教的。

多宝塔を見ると、一階の屋根と二階の屋根が四角になっています。仏教施設は丸というか「半円球」と四角が多く使われます。半円球が「天」、四角が「大地」を表しています。ちなみに、灯篭も半円球と四角でできているのでよく見てみてください。
多宝塔は二階の柱が「円」に配列されています。これで「天」を表しているのでしょう。

戦国時代にはこの近くに「勝山の館」とか「勝山城」があったとされ、安芸国の権力者だった大内氏が宮島に来た時はそこに泊まっていました。また厳島合戦の時は、陶晴賢の軍がまず、この勝山に陣を敷いていることから、この場所が特別な意味を持っていたことが分かります。

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