高安ヶ原(タカヤスガハラ)

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高安ヶ原(タカヤスガハラ)

厳島合戦で陶隆房(陶晴賢)は追い詰められ、厳島神社の西にある大江浦という場所まで逃げます。棚守房顕覚書ではこの大江浦で自害したことになっています。

江戸時代の芸州厳島図会では陶隆房(陶晴賢)は島の真反対側の青海苔浦まで逃げて、そこから青海苔川を上って高安ヶ原で腹を切った、としています。場所が全然違うのは何故かはよく分からないです。

高安ヶ原には「陶晴賢敗死之碑」なる大きな石碑が立っています。石碑には「大正十年八月十日 文学博士 瀬川秀雄 厳島宮司 高山昇」とあります。瀬川秀雄さんは歴史学者で毛利元就の戦跡を調べた人。文書を調べてここで陶晴賢が亡くなったと結論を出した人(だと思う)。

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