競艇場前駅…市内電車(広電)の幻の駅

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競艇場前駅…市内電車(広電)の幻の駅

広島の市内電車は広島市内から宮島口まで伸びています。その宮島口の手前に「幻の駅」があります。時刻表や路線図には表記のないのですが、実際にはその駅に市内電車はちゃんと停まります。でも、表記されていません。

その駅の名前は「競艇場前」。
宮島口駅の近くにある「宮島競艇場」の前の駅です。
宮島口駅から200m。歩いて行ける距離です。
どうして表記がないのかというと、いつも停車するのではなく、競艇場で舟券が買えるときだけ停車する駅だからです。

駅にも表記はない

競艇場前駅の乗り場にも「表記」がありません。

それは建前じゃないか

それは建前じゃないかと。
上にあげた理由って表記しない理由にはならないでしょう。表記して「競艇場で舟券が買えるときだけの停車するよ」って但し書すれば済む話でしょうよ。表記しないのは、競艇場がギャンブル場で、「けしからん」存在だからです。もちろん、そうハッキリとは誰も言ってませんよ。でも、まぁ、要はそういうことでしょう。

宮島の歴史と競艇場

宮島の歴史と競艇場
宮島は今でこそ、神の島で世界遺産の島で、とても厳かで素晴らしい、歴史のある存在なのですが、ここまで来るのに変遷があるのです。

歴史
平安末期の12世紀に厳島神社が造営された時は、確かに天皇が参拝に来るほどのものでした。でも、その後はどういう状態だったかハッキリしません。確かに鎌倉幕府から庇護を受けていたと思われますが、よく分かりません。江戸時代には安芸藩の福島正則などに社領を奪われ、宮島には奉行所が設置され、自治権を失い、1625年には広島城下材木町から風俗街(=吉原)が移設されています。神の島には似つかわしくありません。また江戸時代には富くじが盛んに行われていました。江戸時代、宮島は「歓楽街」だったわけです。その後、明治維新で神仏分離が行われ、宮島から仏教要素が一掃され、「神の島」となると、神の島にふさわしくない!と風俗街はなくなり、富くじもなくなり、完全な「観光地」として再出発をしなくてはいけなくなりました。また、少ない仕事だった「貿易・流通」は、広島湾の宇品に奪われてしまいます。

そして敗戦。敗戦によって「神道」の価値が下がってしまいます。厳島神社は特産のしゃもじと引っ掛けて「敵を召し取る」「飯とる」で、戦意高揚に一役買っていた面があります。厳島神社も価値を失ってしまいました。

そうして1954年(昭和29年)に生まれたのが「宮島競艇場」です。
宮島競艇場はかつてのエネルギーを失った宮島に人を呼び戻す意味があったのでしょう。それに宮島はかつて風俗街があり富くじを盛んに販売する「歓楽街」だったという歴史があり、競艇場の開設は、「先祖返り」のようなものだったのだと思います。
ところが、今度は1996年に厳島神社と宮島が世界遺産に認定されます。急に国内外から注目を集めるようになり、観光客がどっと増えました。すると「世界遺産のすぐ近くに競艇場があるなんて如何なものか?」となる。

いやいやちょっと待て
競艇場前は昔から「幻の駅」なんですよ(多分)。
最近「世界遺産になったから幻の駅になった」のではなくて、昔から幻の駅なんです。多分ね。だから、上の理屈はちょっと的外れだ!と突っ込む人もいるでしょう。それでも、そういう経緯があり、宮島と競艇場は微妙な関係にあるんだってのは間違い無いのです。

そういう歴史の経緯があって、考えながら競艇場前駅を見ると、色々と考えるものがあると思うのです。

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