「飯とる」→「敵を召し取る」でしゃもじが勝利の縁起物になる理由

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しゃもじが縁起ものになるのは何故か?

宮島は江戸時代から「しゃもじ」が名産となりました。

しゃもじが名産となった理由の一つに、「神の島である宮島に生える木で作ったから」というのがあります。つまり、単にしゃもじを制作して売ったのではなくて、しゃもじには「神のご加護がある」ってのが付加価値としてあったのですね。ここいら辺の現代でも通じるビジネスのお話は「しゃもじ」で書いていますのでそちらをどうぞ。

兵士が敵地で召し取る、から来てる
明治になると、日本は戦争に傾倒していき、多くの若者が戦地に行くことになりました。その戦地に行く兵士が、厳島神社に旅行に来て、しゃもじを奉納したのです。なぜかというとしゃもじが「飯とる」ものだから、戦地で「敵を召し取る」という縁起物だからです。
おそらく、戦地に赴く前の最後の家族旅行。その時に、しゃもじを購入し奉納したのでしょう。絵馬に願い事を書いて奉納すると同じです。

そんなわけで、しゃもじが「飯とる」から「敵を召しとる」というダジャレの縁起物になったのは日清戦争と日露戦争が始まりなんです。その後も日本は戦争に傾倒していき、奉納されたしゃもじは千畳閣の柱に飾られていました。当初、千畳閣の柱に釘で打ち付けていたために、柱には現在も跡がたくさん残っています。

しゃもじがそもそも戦争の縁起物だというのは、あまり語られません。まぁ、「反戦」が旗印になっている被爆地「広島」では、積極的に語るのは心苦しいのでしょうね。だからこそ広島カープの応援でしゃもじを打ち鳴らしているのは、ちょっと滑稽。ま、しゃもじを鳴らしているのは地元愛(地元名産のしゃもじを使おう!ってこと)が根っこですから、関係ないことなんですよ。

ダジャレが何故、縁起ものになるのか?

ところで、しゃもじが飯とるから、敵を召し取るにかけて、縁起物なんだと説明を受けても、ピンと来ないというか、「だからなんだよ!」と思いませんか?
この辺りは日本人の「言霊信仰」を理解していないと分からないかと思います。

日本人は言葉が現実化する、と思っている

言霊信仰ってのは「言葉が現実になる」という感覚です。
日本人にはこの言霊信仰があり、その言霊の感覚が現代でも強く影響しています。普段は意識していませんから、自覚は無いんですよ。でも確実に影響を受けています。
言霊信仰の具体例
例えば、日本人は結婚式で「別れ」という言葉を口にしないようにしますし、「別れ」を連想するようなことも言いません。なぜなら「言葉が現実化する」という感覚があるからです。
他にも日本人はおせち料理にこの「ダジャレ縁起物」をたくさん入れています。
「クワイ」は「芽が出る」から縁起がいい。
「豆」は「マメに働く・マメに暮らす」になるから縁起がいい。
「ゴボウ」は「地に深く根をはる」から縁起がいい。
「カズノコ」は「子沢山」で縁起がいい。
「昆布」は「よろ昆布」で縁起がいい。
「ブリ」は「出世魚」で縁起がいい。
「鯛」は「めでたい」で縁起がいい。
「レンコン」は「穴が空いていて、遠くが見通せる」から縁起がいい。

まぁ、こんなのは慣習レベルのお話ですから、現代でも言霊信仰が影響していると言っても大したことはないのですが、ガッツリ言霊信仰が政治に関わることもあります。

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