沙石集の厳島神社の記述

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沙石集(巻1−5)

安芸厳島は菩提心祈請のために人参詣するよし、申しつたえたり。その故をある人に語りしかば、「昔、弘法大師、参詣し給いて、甚深の法味を捧げ給いける時、示現に何事にてもご所望の事、承るべきよし、仰せられけるに『我が身には別の所望候わず。末代に菩提心祈請せむ人に道心をたび候へ』と申し給いければ、『承りぬ』と仰せありける。故に昔より上人ども常に参詣する事になむ侍る」とぞ。

現代語訳

安芸の国の厳島は菩提心を持てるようにと祈りに詣でる理由を申し伝えています。その理由をある人が語ったところによりますと…
「昔、弘法大師が厳島に詣でて、仏教の深い味わいを捧げた時に、示現(仏が現世に現れたもの)が何でも望むものを受けようと言ったら、弘法大師が『私には何も望むものはありません。これから菩提心を得ようと祈る人たちを導いてください』といったところ厳島に現れた示現が『承った!』と言ったのです。それで昔から上人(=高僧)は常に詣でることになったのです」
と。

沙石集

沙石集は鎌倉時代中期(1283年)に成立した仏教説話集。ここで引用しているのはその中で厳島(宮島)に関わっているもの。
ザックリ言うと、厳島の神が弘法大師に「後世の人の解脱を手伝ってやってね」と言われた「わかったよーん」と答えた、だから、厳島はいっつも解脱したい坊さんがやってくるんだよ、と言うお話です。
注意点
沙石集は仏教説話であり、仏教っていいよねと教えるための本です。よってこの文章を持って「史実」と考えるのは無理があるのですが、大事なのは鎌倉時代の中期までには「厳島」=「仏教で大事な場所」「菩提心を得る場所」という認識があったということです。そういう文化を知るためのものです。

厳島は厳島神社のことか?
ここで「厳島」と表記がありますので、これが「厳島神社」のことだと考えても差し支えはないのですが、本当に神社を指しているのかは分かりません。仮に厳島神社のことだとすると、厳島神社は弘法大師(774-835)の時代にはあったということになります。
●神社の伝承によれば厳島神社の創建は597年。ただし物的証拠も歴史書の記述もない。

清盛願文にも同様の記述
平家納経という挿絵の綺麗なお経を清盛が厳島神社に捧げているのですね。そのお経とセットになっている願文があります。願文というのは「どうして納経するのか理由を書いた奏上文」です。清盛の願文にも「厳島の神は観音さまが現世に現れた姿で、その神は悟りを得て解脱するのを助けてくれるらしいじゃん!」と書いてあるんですね。この願文を書いたのが願文の記載によれば「長寛二年(1164年)」です。
この願文が実際に1164年に書かれているのかはわかりませんが、平安末期なのは間違い無く、鎌倉時代の沙石集の記述と同じ感覚があったということになります。

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