大鳥居の扁額は裏と表で違う

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大鳥居の扁額は裏と表で違う

扁額というのは表札のようなもので、どこの神社の鳥居にも掛かっています。
厳島神社大鳥居には表と裏に違う扁額が掛かっています。普通は表に一つだけです。

裏側(神社側)には「伊都岐島神社」(画像一枚目)。
表側(海側)には「厳嶋神社」(画像二枚目)。

厳島神社の外に向けての扁額が「正式(表向き)」なものですから、「厳嶋神社」が「正式」だよと言っているのですが、なぜ二つの扁額があるのやら。
●江戸時代までは表側(海側)には「厳嶋大明神」。裏側(神社側)には「伊都岐島大明神」でした。大明神なだけで一緒。
●扁額の文字は有栖川宮熾仁親王(アリスガワノミヤタルヒトシンノウ)が書かれた文字。

神様が変遷している

厳島神社が「厳島」となったのは、後々の話で、9世紀の書物の日本後紀には「伊都岐嶋神」、10世紀成立の延喜式には「 伊都伎嶋神社」と書いてあって、「厳島」と記述があるのは江戸時代以降の文献が多い。「厳島神社」となったのは江戸時代か、それより前…おそらくは祭神の変更があった14世紀と思われます。平清盛の時代には表には「伊都岐島大明神」と書いてあったはずです。

よって「伊都伎嶋神社」が本来の名称と考えた方がいいです。
二つの扁額は神社の名前の変遷の結果です。
「厳」を「イツキ・イツク」と読むことはありません。「イツキ」というのは「神を祀る」という意味があるので、「厳か(オゴソカ)」という意味を持つこの漢字を当てたのは、「本気」と書いて「マジ」と読むというのに近い、音より意味優先のかっこいい言い方、だったんじゃないかと思います。

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