弾丸列車の遺構

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弾丸列車の遺構

1938年、日本は大きくなってきた輸送需要をなんとかするために鉄道整備に取り掛かりました。その当時の正式な名前が「広軌幹線」。この広軌幹線を整備するための土地調査が始まりました。それで広軌幹線は整備が着工したのですが、戦争もあって、計画は進みませんでした。
その広軌幹線の通称が「弾丸列車」。この弾丸列車が廿日市にも通る予定だったんですね。その遺構というか、線路となる予定だった場所に打った「杭」が残っています。実は貴重なものです。
●1932年に満州国が成立。すでに日本の輸送はパンク寸前だったと思われます。
●弾丸列車は、朝鮮半島と日本を海底トンネルで繋いで、北京までの予定でした。
●日本がシンガポールを獲得するとシンガポールまで計画が延長。
●将来的にはインドまで計画があったとか。

洞雲寺の近くに

この杭は現在、洞雲寺の近くの公園に展示してあります。展示というか野ざらしなんですけど、ありますので、鉄道マニアと近代史マニアは結構喜ぶかもしれない。
●公園の近くにあるのは「移設」です。実際に見つかったのは洞雲寺敷地内でした。


ちなみに、この弾丸列車には別の異名がありました。
それが「新幹線」です。
弾丸列車と新幹線は直接は関係ないとされるのですが、その「目的」はどう考えてもほぼ同じですから、同じと言って差し支えないものです。

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