任助法親王の御墓

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任助法親王の墓

名前任助法親王(ニンジョホウシンノウ)の墓(御室さん)
場所宮島口
JR宮島口駅の西にある。敷地内には入れないので、墓は間近では見られない。宮内庁の管轄になっているんじゃないかと思われます。

アクセス

任助法親王とは

任助法親王は宮島の大聖院に滞在した人物。伏見宮貞敦親王の子供で、後には後奈良院の猶子となりました。仁和寺の20世門跡。
伏見宮
伏見宮というのは「世襲親王」で、代々、親王(=天皇の子供)を名乗ることが許された家です。天皇に子供がいない場合、たまーにですが世襲親王家から天皇が出ることがあります。
猶子と世襲親王
「猶子」ってのは、養子のこと。世襲親王家は天皇の猶子になることが親王家の維持の条件とされていました。だから伏見宮任助法親王は後奈良院の猶子になったわけです。

仁和寺と真言宗

仁和寺というのは真言宗の寺のこと。真言宗のお寺というと「高野山金剛峯寺」が有名ですが、あれは坊主の寺(=お坊さんが修行する寺)で、仁和寺は貴族のための寺。ですから仁和寺の門跡(=一番偉い人)はいつも皇族がついていました。ちなみに仁和寺を「真言宗御室派」というのですが、この室というのは「皇室」のこと。
で、戦国時代に仁和寺の門跡になったのが「任助法親王」でした。

任助法親王は九州で宗教活動をしに行く途中で宮島の大聖院に滞在して、指導をします。そして、そのまま大聖院で死んでしまいます。座禅をしたまま死んだとか。任助法親王は宮島の向かいの赤崎という土地の情景がお気に入りだったことから、その地に墓を作ります。それが現在の墓です。
宮島は穢れを嫌っていまして、現在でも墓はありません。例え親王でも宮島に埋葬されることは許されなかったようですね。

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