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乳地蔵(チチジゾウ)
創建について
乳地蔵は母乳が出やすくなるという地蔵。江戸時代の芸州厳島図会にも記述があるので江戸時代にはあったよう。それ以前からあったとしても、どの時代からあるのかは分からない。
宮島では戦国時代から「宮島での出産」は禁じられていて(記述されたのが戦国時代ってだけで、それ以前から禁じられていたと思われる)、妊娠すると7ヶ月で対岸に渡り、出産後75日で宮島に帰ることになっていました。つまり、「子育て」は宮島で出来るのです。
宝寿院の創建が伝承によれば「天慶9年(946年)」。史実かどうかは分かりませんが、乳地蔵も意外と古いものなのかもしれないです。
宮島では戦国時代から「宮島での出産」は禁じられていて(記述されたのが戦国時代ってだけで、それ以前から禁じられていたと思われる)、妊娠すると7ヶ月で対岸に渡り、出産後75日で宮島に帰ることになっていました。つまり、「子育て」は宮島で出来るのです。
宝寿院の創建が伝承によれば「天慶9年(946年)」。史実かどうかは分かりませんが、乳地蔵も意外と古いものなのかもしれないです。
女人坂
乳地蔵菩薩に参拝するために、女性たちが登った坂が「女人坂」と呼ばれるようになった由縁とされます。なるほど、とは思うのですが、日本では古来から女性でも登れる緩い坂を「女坂」、きつい坂を「男坂」と呼んでいたので、この由縁はどの程度の本当か分からない。宮島は坂がきついので、「女性が信仰する乳地蔵」と「女性が登れる坂の女人坂」は最初からセットだったんじゃないかと思います。つまり、乳地蔵を設置するべき場所は、女性が登れる坂の先だと、考えたのではないか?ってこと。
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