カキ船

MENU
TOP >> カキ船グルメ 牡蠣 広島 歴史 特産物
スポンサードリンク

カキ船

現在、広島市には牡蠣船というのは、「かなわ」「ひろしま」というカキ船しかありません。
●広島県呉市・大阪府大阪市・長野県松本市にはカキ船があります。

日本人と牡蠣食

広島では縄文時代から牡蠣を食べていて、室町時代あたりから養殖が始まりました。最初の頃の養殖は原始的なものではありましたが、牡蠣を安定して供給するというのは日本人にとって大変ありがたいことでした。
日本人は古来から肉食をしておらず、慢性的なタンパク質不足だったからです。
魚や大豆でそのタンパク質を補っていましたが、絶対量が不足しがち。まぁ、古代の社会でのタンパク質不足は日本人の肉食忌避文化とは関係なしに、慢性的なものだったのですが。
牡蠣の安定的な供給はとても意味のあるものでした。

カキ船の誕生

カキを運搬するための船
そして江戸時代に貼ると「ひび建養殖」という方法が確立されて、更に牡蠣の生産量が上がると、広島だけではこの牡蠣を消費しきれなくなり、大阪や九州へと「出荷」するようになりました。
その時に運搬した船を「カキ船」と呼びました。
カキ船は晩秋に広島を出発し、大阪や九州で牡蠣を売って、1月か2月に広島に帰るというサイクルで活動していました。その大阪や九州で、川岸に船をつけて牡蠣を船の中で調理して提供するというのもやっていました。

カキを調理し提供する場としてのカキ船
明治に入ると、この運搬はエンジンの付いた船が行うようになり、速度も上がり、今までのようなビジネスをする必要がなくなりました。すると、カキ船は調理して提供する場として残るようになります。それが現在のカキ船です。

スポンサードリンク

ブログや掲示板に紹介する場合

ブログやサイトに紹介する場合(タグ)

編集