現存する秀吉の金箔の瓦は千畳閣(豊国神社)だけ…だと思う

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豊臣と金箔の瓦

豊臣秀吉は金箔で装飾した瓦で城を飾りました。
金箔は豊臣の象徴で、金箔の瓦を飾るということは「私は豊臣支持者ですよ」と標榜しているのに等しいのです。

千畳閣は貴重
豊臣秀吉を祀った「豊国神社」というのは、全国にあるんですが、それらの神社も「金の装飾」はあっても秀吉の象徴である「金箔の瓦」というのは無いんです。豊臣秀吉が作った建築物で「金箔瓦」だったものには「大阪城」「聚楽第(ジュラクダイ)」などがあるのですが、どれも焼け落ちて、現存していません。豊臣秀吉が建てたもののうち、今も現存していて、なおかつ今も一部とはいえ「金箔瓦」なのは千畳閣だけ(だと思う)。
実は千畳閣は非常に貴重な建築物なんですよ。
千畳閣を完成させることも出来なかった理由
豊臣秀吉といえば金箔の瓦。
金箔の瓦を城に使っていいのは豊臣秀吉と秀吉の重臣だけ。
そういう戦略を敷いていたために、徳川の時代に、豊臣の関係者に圧力をかけるようになると「金箔の瓦」を目の敵にするようになりました。

江戸時代に入ると千畳閣の建造はストップ。
中途半端なのですが、これを完成させてしまうと「謀反の意志あり!」とレッテルを貼られてしまう。だから完成させることが出来ず、かといって壊すこともしなかった。

千畳閣の軒瓦

しかし、千畳閣には金箔の軒瓦が残っています。
これは千畳閣が建築途中で頓挫して「完成していない」というのもあるのでしょう。
このどっちつかずの中途半端な状態だからこそ、目の敵にされなかった。だから千畳閣の瓦は後世に残すことができたのです。
●宮島は江戸の初期には「観光地だった」のかもしれません。
●だから千畳閣を壊さなかった。観光資源として放置することで、残した。のかもしれません。
厳島神社の管弦祭が、京都の風習を取り入れたものになったのは室町時代です(清盛はどうやら無関係)。これももしかすると観光目的での、変更なのかもしれません。

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