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清盛が厳島神社を修造したか?
平清盛が厳島神社を建てたという証拠はない
12世紀に平清盛が厳島神社を建てた(正確には改築・修造・造営した)、というのは実は「この時代にこれだけの建造物を建てる力があったのは平清盛以外に考えられない」というだけです。ただし清盛が、修造以前に厳島神社に何度も参拝していることは記述があり、それだけ厳島神社を崇敬していたのは事実です。また、厳島神社に巫女服や平家納経を納めたことも事実です。だから関わりは深い。そこは事実なんですよ。でも、そもそも平清盛が厳島神社を建てた、というのは客観的には根拠(物証・歴史書・日記)のないものなんです。
いうなれば、厳島神社の社伝にあるし、この頃に建てる「財力」があったのは「平清盛」しかいない。ならば立てたのは清盛だろうというのが、定説のゆるーい根拠だったのです。
●平清盛が「私費を投じて」何かを建設したという記述は歴史書や日記の中には一切ありません。
●当時は摂関家などが様々なことを日記という形で残しています。清盛が厳島神社の修造に関わっていたのならば記述が残っているべき。
●当然、清盛は当時、超有名人でしたから、記述がないのはおかしい。
●当時は摂関家などが様々なことを日記という形で残しています。清盛が厳島神社の修造に関わっていたのならば記述が残っているべき。
●当然、清盛は当時、超有名人でしたから、記述がないのはおかしい。
いうなれば、厳島神社の社伝にあるし、この頃に建てる「財力」があったのは「平清盛」しかいない。ならば立てたのは清盛だろうというのが、定説のゆるーい根拠だったのです。
じゃあ、誰が建てたのか?
実はよく分かりません。当時の厳島神社の神官の佐伯景弘じゃないか?という説もあります。ただ、平清盛が造営したというのはちょっと無理があるだろうと。
実はよく分かりません。当時の厳島神社の神官の佐伯景弘じゃないか?という説もあります。ただ、平清盛が造営したというのはちょっと無理があるだろうと。
●厳島神社はあまりに平清盛と結びつけられている。
●個人的には、「平清盛の怨霊」を鎮めるために、「清盛が造営したことにした」つまり、手柄を清盛に譲ったんじゃないか?と思うのです。
●それはつまり、佐伯景弘か、平氏で生き残った平頼盛か、その両者か、もしくは非常に多くの人々が、清盛を裏切ったからではないかと。
●個人的には、「平清盛の怨霊」を鎮めるために、「清盛が造営したことにした」つまり、手柄を清盛に譲ったんじゃないか?と思うのです。
●それはつまり、佐伯景弘か、平氏で生き残った平頼盛か、その両者か、もしくは非常に多くの人々が、清盛を裏切ったからではないかと。
個人的な見解ですよ
あくまで個人的な見解ですが。
私は厳島神社というものが「この辺りの通行税を徴収するためのもの」だったと思います。この辺りを安全に通りたければ、何かを献上しろ。じゃないと神罰が下るぞ!ってことです。これは別に12世紀にそうだった、のではなくて、もっと古い時代からそうだったのだと思います。
私は厳島神社というものが「この辺りの通行税を徴収するためのもの」だったと思います。この辺りを安全に通りたければ、何かを献上しろ。じゃないと神罰が下るぞ!ってことです。これは別に12世紀にそうだった、のではなくて、もっと古い時代からそうだったのだと思います。
海賊ビジネスから海の安全を守るビジネスへ
瀬戸内海は海賊が跋扈していました。海賊は貿易船の積荷を奪って、場合によっては殺してしまいます。それではたまらないので、貿易船は腕に覚えのある奴を護衛として雇うようになります。まぁ、しばらくはそれで安全に運行できるようになりますよね。ところがそのうち、護衛のやつらがもっと金銭を要求するようになってきます。「殺されないで済むのは俺たちのおかげだろ?もっと寄越せよ!」ってなもんです。もしくは、逆に海賊が減ってきて、貿易船側が護衛を雇うのが勿体無いような気がしてくるわけです。すると、護衛のやつらが「海賊船を取り締まる」ことで「通行料」を取るようになったんじゃないかと思うんですね。そうなると貿易船側も安上がりだし、護衛側も顧客を幅広く取れて利益が大きくなる。それに、何より瀬戸内海が安全になり、貿易が盛んになり、経済が潤い、さらに貿易が盛んになると、より収益が増えた。その徴収する根拠が「神社」だった。「この辺りの安全を守っているのが厳島神社の神なんだ!(実際には武力だけどね)だから何か寄越せ。じゃないと神罰が下るぞ!」ってことです。
瀬戸内海は海賊が跋扈していました。海賊は貿易船の積荷を奪って、場合によっては殺してしまいます。それではたまらないので、貿易船は腕に覚えのある奴を護衛として雇うようになります。まぁ、しばらくはそれで安全に運行できるようになりますよね。ところがそのうち、護衛のやつらがもっと金銭を要求するようになってきます。「殺されないで済むのは俺たちのおかげだろ?もっと寄越せよ!」ってなもんです。もしくは、逆に海賊が減ってきて、貿易船側が護衛を雇うのが勿体無いような気がしてくるわけです。すると、護衛のやつらが「海賊船を取り締まる」ことで「通行料」を取るようになったんじゃないかと思うんですね。そうなると貿易船側も安上がりだし、護衛側も顧客を幅広く取れて利益が大きくなる。それに、何より瀬戸内海が安全になり、貿易が盛んになり、経済が潤い、さらに貿易が盛んになると、より収益が増えた。その徴収する根拠が「神社」だった。「この辺りの安全を守っているのが厳島神社の神なんだ!(実際には武力だけどね)だから何か寄越せ。じゃないと神罰が下るぞ!」ってことです。
そうして厳島神社の収益が上がっていった。厳島神社というよりこのビジネスを行っていたグループですがね。それが12世紀前後に日宋貿易の活発化になっていった。その結果が「12世紀の厳島神社の修造」であり「壮麗な海上神殿」になって行ったのだろうと思います。
それで厳島神社は誰が建てたのか?
で、誰が12世紀に厳島神社を作ったのか?ということになります。この理屈でいうと厳島神社の神官である「佐伯景弘」ということになるんですね。佐伯景弘は平氏が衰退する中にあっても平氏を支持し、戦争に参加しています。佐伯景弘は戦争ができる人物だったってことです。そもそもは海賊だった??のかも。佐伯自身が周辺海域を取り締まっていたのかもしれない。ただ、当時は寺社が私兵を持っているのが普通ですから、そこいら辺は決定打とは言えないですね。結局、分かりません。あくまで候補者です。
それでも清盛は無関係と言えないのでは
ただ清盛が神社の造営に無関係ってのも不自然ですよ。無関係ではなかった。資材か金銭か技術か知恵かのバックアップはあった。厳島神社の形状は京都の貴族の寝殿造りを元にしていますから、佐伯だけで造営はちょっと考えにくいでしょう。京都の関係者も混じっているはず。なら清盛かな?って程度ですけどね。仮に清盛じゃなくても平氏は関わっていただろうと。平氏が関わっているのなら、清盛が知らないわけはないでしょう。
そこいらへんのグループの象徴として厳島神社は壮麗に改築されたのではないか?と言うのが現在の私の考えです。
それでも清盛は無関係と言えないのでは
ただ清盛が神社の造営に無関係ってのも不自然ですよ。無関係ではなかった。資材か金銭か技術か知恵かのバックアップはあった。厳島神社の形状は京都の貴族の寝殿造りを元にしていますから、佐伯だけで造営はちょっと考えにくいでしょう。京都の関係者も混じっているはず。なら清盛かな?って程度ですけどね。仮に清盛じゃなくても平氏は関わっていただろうと。平氏が関わっているのなら、清盛が知らないわけはないでしょう。
そこいらへんのグループの象徴として厳島神社は壮麗に改築されたのではないか?と言うのが現在の私の考えです。
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