千畳閣が壁も天井もない未完成な理由

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千畳閣が未完成の理由

まとめ
●豊臣秀吉により1587年に着工したが、その後、豊臣秀吉が1598年に死亡したために建築は頓挫したと言われる。
●秀吉の死亡後も、建築を任された安国寺恵瓊は完成を目指したが、安国寺恵瓊自身も関ヶ原の合戦後に敗北した西軍の責任者として死亡したために、千畳閣の建築は完全に頓挫したと言われる。
●しかし、あの広大な大坂城を20年で完成させたことを考えると秀吉の力(=勢力)で着工から死亡までの11年で千畳閣が完成しないわけがない。
千畳閣は中国地方は「豊臣のものだ」と示すために作る予定だったが、小早川隆景が恭順したために作る意味がなくなった。

千畳閣の建設が頓挫した理由(定説)

1587年に豊臣秀吉が千畳閣を作り始めます。実際に指揮をとったのは安国寺恵瓊(アンコクジエケイ)。千畳閣は正式名称ではなく、「経堂」が本来。経堂とは戦没者を供養するお経を読む場所。昔から「解脱する導き」をするとされる厳島神社の観音信仰には合致するけど、まぁ、仏教ってそもそもそういうものだから。

その後、秀吉は朝鮮征伐に乗り出し、その中途で病死。死亡したのが1598年。これで経堂(=千畳閣‘)の建設は頓挫したというのが定説です。
安国寺恵瓊は完成を目指していたようですが、安国寺恵瓊自身も関ヶ原の合戦の敗北後に西軍の責任者として殺されてしまいます。これで完全に頓挫した。それで千畳閣は天井も壁もない未完成のまま現在に至る…ってことになります。

千畳閣は豊臣秀吉の金箔が貼ってあった

千畳閣の瓦には金箔が施されていました。金箔は「豊臣」のトレードマーク。大坂城など豊臣関連の建設物には金箔が貼ってありました。つまり、千畳閣は「豊臣じるし」が施された、豊臣の建物であり、その千畳閣が厳島神社を見下ろす形で建設されているのは「豊臣>厳島神社」という図式を示すものです。

現代の私たちではピンと来ないですが、厳島神社の信仰は当時、圧倒的というもので、宮島に訪れたイエズス会の宣教師が「厳島神社への信仰が強すぎて布教できない!!(キリスト教にとってキリスト教以外は邪教なので憎しみを込めて言っている)」と書き残しているくらい。

その厳島神社を見下ろす場所に建設した。しかも、わざわざ土台を組んで、巨大な経堂を建てた。ただ「経堂を建てた」のではなく、「大きなものを建てる」という明確な目的がある。単に「供養目的」ならあんな大きな経堂は不要でしょう。そして土台も大坂城と同じような石の組み方をしている。
千畳閣は厳島神社を豊臣が抑え込むという明確なメッセージがあって建築している。
●平家物語では厳島神社の神が平清盛に「刀」を渡して「統治権」を授けるという場面があります。つまり、厳島神社の神には権力者を選ぶ権限があるってこと。
●厳島神社は平安時代は平清盛、鎌倉時代は鎌倉幕府、室町時代は大内、戦国時代は毛利と権力者と結びついています。厳島神社の神が権力者を選ぶという感覚はあった、かもしれない。
●大内→毛利の時代には明確に「厳島神社の神が権力者を選ぶ」という感覚はなかったらしい。ただし、大内と毛利が宮島に投資(寄進)をする中で、そういう感覚が強くなり、豊臣秀吉がその感覚をねじ伏せるために千畳閣を建てた可能性は高い。秀吉は信長が比叡山を焼いたのと別の方法で信仰を抑えたということ。

千畳閣の建築は頓挫へ

豊臣が厳島神社を抑えようとしたのは、毛利が特別視していたこともあるが、中国地方を豊臣のものにしたい!というのがあった。中国地方と言うよりは「海上交通」というか「流通」でしょう。宮島は海上交通の要衝でしたからね。

しかし、その必要がなくなった。毛利の実質的な権力者だった「小早川隆景」が恭順したためです。小早川隆景はかなりの切れ者で豊臣の大老の一人でもあり、能力は認められていたが、能力があるということは敵にもしたくないってこと。彼が豊臣秀吉の求めに応じて九州に配置換えしたり、後の事ですが秀吉の甥を養子にして小早川秀秋を後継にしたりと、恭順したことが千畳閣建築の意味がなくなった理由だと思われます。
●小早川隆景は結婚はしていたが子供はいなかった。
●小早川隆景自身も毛利から小早川家に養子にいっている。

秀吉の力なら未完成はあり得ない
秀吉は大坂城を20年ほどで完成しています。あの広大な土地に掘りを作り、城を作ったその力があるならば、千畳閣なんて下手すると一年か二年で作れるはず。少なくとも着工から秀吉が死亡する十一年の間「作り続けていたけど、完成しませんでした」はあり得ない。
かなり早い段階で建設を諦めたのでしょう。
個人的には、小早川隆景がなんらかの恭順の意思を示したことで「千畳閣を建てるコストと得られるメリットが釣り合わなくなった」のだと思われます。
●千畳閣建設の際に振る舞われたのが「太閤の力餅」とされます。

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