内侍岩(ナイシイワ)…有子内侍が入水自殺したとされる岩

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内侍岩

名前内侍岩(ナイシイワ)
場所御床浦の北(船で行くものなので普通の観光客は行かない)
由来
徳大寺実定(トクダイジサネサダ)と言う貴族がいました。彼がまだ大納言だった頃に、厳島神社に訪れました。優秀な政治家であり、貴族(藤原氏)の出身の家であり、また文化人・芸術家であった彼に、厳島神社内侍…つまり巫女さんの有子内侍(17歳)は恋をしてしまいます。二人は恋に落ち、徳大寺実定は和歌を送っています。
それが
山の端に 契りて出んよはの月 めぐり逢べき折を知らねど
歌の訳山の端に夜半になると約束したように月が出てくるよ(私もこの月のように君に愛を約束するよ)。いつ、あなたに巡り会えるのか分からないのだけど……

です。
徳大寺実定は京都の政治家です。京都に帰ることになりました。
有子内侍はその船を追いかけて、この岩で見送った。そして歌を歌いました。
はかなしや 浪の下にもいりぬべし 月の都の人や見るとて

そして入水して死んでしまいます。

徳大寺実定

徳大寺実定は藤原定家のいとこにあたる人物(つまり徳大寺は住んでいる場所が由来の名前で本来の氏姓は藤原)。朝廷・鎌倉幕府でも政治家として活躍します。で、この徳大寺さんがなぜ厳島神社と関わりがあるのかというと、平家物語でも厳島神社に参詣しているんですね。そして、平家物語では「厳島神社に参詣したから、左大臣になった」という書き方をしているんです。厳密にいうと、平家が崇敬する厳島神社に参詣することによって平清盛に気に入られて…って感じです。
ただ、この平家物語の記述は史実とは違います。

徳大寺実定は、最初は順調に出世するんですが、永万元年(1165年)に大納言を辞してから、治承元年(1177年)3月まで位をもらっていません。どうやら平家(清盛)とキャラが被っていたために、平家から邪魔されていたようなんですね。それが1177年に大納言に復帰し、寿永2年(1183年)に内大臣になります。この復帰劇の途中に「厳島神社参詣」があったというのが平家物語の筋なんですが、徳大寺実定が参詣したのは治承3年(1179年)3月。大納言復帰の理由は参詣にはありません。ただし。内大臣になった理由としてはあるかもしれませんが。
●この辺りは政治的な都合ではなく、平家物語を面白くする脚色です。

内侍と徳大寺実定

実際に二人が恋に落ちたかどうかは怪しい話です。平家物語での徳大寺実定と厳島神社のつながりの中で、結びついて創作されたか、別の物語が徳大寺実定にすり替わったんじゃないかと思います。
ただ、平清盛も内侍との間に子供をもうけて後白河上皇に嫁がせているように、内侍と参詣した人物が恋をするということは不自然ではなかったと思われます。
あと、棚守房顕覚書に中にも、徳寿内侍が男と会っていて大名の大内義隆が合戦前に神に祈願したいのにできなかったことが書かれています。内侍は自由恋愛なんですよね。

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