スポンサードリンク
端午の節句(タンゴノセック)
時代背景と地御前神社
平安時代の末期に平家は厳島神社を崇敬しました。厳島神社は平家とつながりがありました。そのせいで鎌倉時代になり、源氏が幕府を開いて権力を握ると、厳島神社の神主はそれまでの平家とつながりのある「佐伯氏」から、鎌倉幕府とつながりのある藤原氏へと変わります。変わるというか「替えられた」というべきでしょうか。
藤原氏は最初は「名前だけの神主」で、厳島神社の実務は現地の人がやっていたようです。現地の人ってのはおそらくは「佐伯氏」。その佐伯氏が後々に復活するのは、駆逐されたわけじゃないからです。しかし、藤原氏が鎌倉幕府内でパッとしない時期が続くと、中央から落ちて、安芸国(広島県)にやってきて生活するようになります。その時に、流鏑馬という武士の風習が地御前神社に入ってきたようです。それが地御前神社の端午の節句の流鏑馬神事。結構歴史のある神事なんですよね。
スポンサードリンク