お好み焼き

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広島のお好み焼き

まとめ
●関西風とは「構造」が違う。
●原爆が落ちた後、何もかもが無くなり、放射能の影響で70年は草木一本も生えないだろうと言われた広島に食料としてアメリカ軍が小麦粉を持ち込んだ。これがお好み焼きが広がった大きな要因。
●専用ソースがある。
●広島県民の前で「広島風」とか「広島焼き」とは言ってはいけない。

広島のお好み焼きと関西のお好み焼きの違い

広島の「お好み焼き」は大阪の「お好み焼き」とは材料は似たようなものですが、作り方が全然違います。広島のお好み焼きは、小麦粉で作ったクレープ状の下地の上にキャベツを大量に乗せて、その上にソバ、豚のバラ肉、卵を乗せて、鉄板で焼いたもの。「焼いた」というよりは、キャベツを蒸し焼きにしているので、キャベツに甘みが出ます。それに「お好み焼き用のソース」をかけて食べます。
●専用ソースで有名なのは「おたふくソース」。こだわる人は「カープソース」。
●最近はマヨネーズが基本。でも邪道だという人もいます。
●広島のお好み焼きを「広島風」とか「広島焼き」と言われると広島県民はキレそうになる。
●通は鉄製のヘラで食べる。でも、猫舌は無理をせず、皿にとって箸で食べればいい。

広島のお好み焼きは自分で焼かない
広島のお好み焼きの特徴は「構造」。
大阪のそれは具を混ぜて焼いているので、お好み屋さんでも自分で焼くことが多いですが、広島のは、プロが作った方が断然美味しいので、自宅で作ることはあっても、店舗内で自分で焼くことはありません。
●家だとマヨネーズかけ放題だから嬉しい、ということもある。
●店舗で食べると、やっぱり美味しい。熱々だしね。
●お好み焼きは鉄板で、いろんなものを焼くお店が多い。「ウニほうれん草」もその一つ。
●でも、店舗だと落ち着かない。ゆっくり食べられない。
●そこで広島県民は店舗で買って家で食べる人も多い。

ただの地方のグルメではない歴史が生んだお好み焼き

広島の戦後を支えたソウルフード
原爆が落ちた広島は焼け野原になり、何も無くなってしまいました。当時、放射能の影響で70年は草木一本も生えないとさえ言われていました。絶望的な状況です。それでも広島は軍都でしたから、原爆1発で20万人が死んでも、まだまだ大勢が住んでいました。

問題は彼らの食料でした。
そこでアメリカ軍が「小麦粉」を供給したのです。
当時の食糧事情は現在では考えられないほどです。
手に入る食材で出来るだけ美味しいものを。
その結果生まれたのがお好み焼きなんです。

戦前の広島にもおそらく、グルメとか名産品とか、それなりの文化とか歴史もあったのでしょうが、そういうものは全部消えてしまい、小麦粉を素材とした食べ物にすり替わってしまいました。その一つがお好み焼きです。
●広島はラーメン、うどんも有名ですよね。これもそういう事情があります。
●現在では減りましたが、広島にはお好み焼き屋さんが大量にありました。私が学生の頃、1990年でも、どこの団地でも1件はお好み焼き屋さんがありました。今(2016年)でも、以前より少ないとっても他の地域では考えられない確率でお好み焼き屋さんがあるハズ。
●おたふくソースにはお好み焼きの焼き方を教えてくれる「施設」があります。
●戦争で夫を失った女性が生計を立てるのに手軽な仕事だったというのもありました。ちなみに同じような性質を持った職業に「美容師」があります。

名前の由来

お好み焼きはクレープ状に焼いた小麦粉にソースや食材を載せて食べる「一銭洋食」が原型とされています。自宅から「好み」の食材を持ち込んで調理することが多かったので、次第に「お好み焼き」と呼ばれるようになりました。
このころのお好み焼きは、かつてのもんじゃ焼きと同じで、駄菓子屋のメニューの一つでした。
おそらくこういうこと
広島のお好み焼きは「重ねて焼く」という形式を指す、ということになっていますが、では広島のお好み焼きは「ずっと重ねて焼くものだったか?」というとかなり怪しい。

というのも、広島のお好み焼きが「重ねて焼く」というイメージになったのは、高度成長期、広島に大阪から高級路線の「関西風のお好み焼き」が出店してきたために、混ぜて焼く「関西風」に対抗して、重ねて焼く「広島風」が確立したという経緯があるからなんです。

そう考えると、やっぱり「広島焼き」という言い方は正しい。
ということになりますか。

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