しゃもじ(宮島杓子)

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宮島のしゃもじの歴史

寛政(1800年)の頃、宮島に住んでいた誓真(セイシン)という僧侶がある日、夢の中で弁天様(弁財天)の夢を見ました。
ちなみに弁天様は厳島神社の女神である市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)と同一神とされます。

弁天様ってのは「舞踊・芸能」の神様でもあるので、いつも琵琶という楽器を持っているものです。その夢の弁天様の琵琶を見て誓真が思いついたのが、現在の形状の「しゃもじ」だと言われています。誓真はこのしゃもじを、宮島(厳島)の神聖な木で作り、「宮島のしゃもじでご飯を食べれば、霊験あらたか! 幸せになるよ!」と売り出すように指導しました。それが、現在も人気のお土産ものである宮島のしゃもじです。
ちなみに宮島のしゃもじが有名なので「しゃもじ」そのものを「宮島」と呼ぶこともありました。
●宮島ではしゃもじとは言わず、「宮島杓子」と呼んでいます。

宮島がしゃもじの発祥?

こういった宮島杓子の由来を読むと、「しゃもじ」ってのは宮島発祥ということになりますが……信じられますか??
●調べてみると、長崎県平戸市の里田原遺跡から「しゃもじ」が出土されているというのですね。まぁ、稲作をする以上は、しゃもじが無いなんておかしい。どうやって掬って食べるんでしょうかってお話ですよ。
●更によくよく調べてみると、里田原遺跡のしゃもじは「木をスプーンのようにくり抜いた形状」とあるように、これは私たちが考えるような「シャモジ」というよりは「杓子」「おたま」というべきものです。

さて、そもそも「しゃもじ」って何なんでしょうか。

そもそも「しゃもじ」とは何か?

棒状のものの先にお皿が付いているものを「杓子(シャクシ)」と呼んでいました。その杓子を平安時代の宮廷では「シャモジ」と呼んでいました。この「もじ」という言葉は宮廷の女官の独特の言葉で深い意味はありません。つまり本来、「杓子」と「しゃもじ」は同じものを指していて、「シャモジ」というのは、杓子の…宮廷の女官風の「雅(ミヤビ)」な呼び名だったのです。
ということは「しゃもじ」という言葉自体は、宮島で「しゃもじ」が売り出される遥か以前からあったということになります。

ではしゃもじのあの形状を誓真が提案したということなんでしょうか?
どうして、それを「しゃもじ」と名付けたのでしょうか?
なぜ僧侶が?

寛政年間の日本の社会事情

ここからは私の想像です
私が考えるに、です。
江戸時代に突入し、社会はどんどん豊かになりました。18世紀には大阪で米相場が始まり、また品種改良や道具の改良で生産性も上がりました。すると農民や町民といった普通の人たちでも、米を普通に食べるようになりました。いや、正確にはそれ以前でも米は食べていたのですが、それまでは雑穀が多く、米を食べていても、ベチャベチャしたお粥に近いものだったのです。だから「おたま」とか「杓子」と呼ばれる器具で掬ってよそって食べていましたが、寛政年間(18世紀末から19世紀初頭)の頃までには、粒立った現在のようなご飯を食べるようになり、そのご飯をよそうための「器具」が作られるようになったのでしょう。でも、その器具には名前はなかったのか、おそらくですが「米杓子」と呼ばれていたのだと思います。
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そこに目をつけたのが宮島の誓真と云う僧。
彼は、この「米杓子」を宮島の神聖な樹木で作り、そして「平安宮廷風の優雅な名前」をつけて売り出すことにしました。それが「宮島のしゃもじ」です。これは売れる。
●宮島では「宮島杓子」と呼ばれているので「しゃもじ」として販売したのは別の人物と考えた方が自然かな。

江戸時代には町民の間で「伊勢参り」・「熊野詣で」と「旅行」が大々的な娯楽として浸透していました。となると、その土地土地のお土産として何か売り出せば、爆発的に売れるのは間違いない。そこに、町民の「上流志向」を刺激する「しゃもじ」という宮廷言葉で、粒立った米という、それまでは贅沢だった「白米」をよそう器具を売り出すことにした。この時代、「しゃもじ」を所有していること自体がステータスだったハズ。お土産で買わないわけがないし、お土産じゃなくても、買いたいでしょう。
昭和の高度成長期で言うところの「テレビ・自動車・冷蔵庫」のようなものです。
●日本は江戸時代には「庶民が文化の中心」でした。これは他の国では有りえないことです。
●他の国では「文化や芸術とは王と貴族のもの」です。
●江戸時代では、庶民が春画を買い、瓦版を読む社会です。江戸時代の末の日本の識字率は80%以上。先進国であるはずのイギリスでも20%。それだけ教育に労力を注げるほどに「庶民が豊かな社会」だったのです。
●そんなだから、日本では伝統的に、文化と消費の中心が庶民なんですね。日本のマンガ(1冊500円前後)が欧米のマンガ(1冊2000円)に比べて激安なのは「文化は庶民のもの」という前提があるからです。普通の書籍も欧米では高い。高いから格安の電子書籍が売れるが、日本ではそもそも書籍が安いので電子書籍が普及しづらい。

そうして「しゃもじ」を販売し、これが爆発的に売れた。
その結果、全国に「しゃもじ」と「宮島」という名前が行き渡った。
だから全国的にこの器具のことを「しゃもじ」と呼ぶようになったし、それは宮島発祥となった、のではないかと思います。
●「しゃもじ」を「宮島」と呼んでいたことがあったのは、こういう事情じゃないかと。

誓真は天才起業家!?

誓真はすごい!
つまり、誓真という僧侶は、「しゃもじ」という器具を思いついたのではなく、すでにあった「米をよそう器具」を「弁財天を連想する琵琶の形」に整え、宮廷風の「しゃもじ」という名前をつけて売った「コピーライター」&「デザイナー」&「プロデューサー」ってことです。これは現在でも通じる凄いビジネスセンスです。
ま、推測ですけどね。
●この琵琶の形状に整えたのは市寸島比売命と習合した弁財天が楽器の琵琶を持っていて、それをイメージさせるためです。琵琶のあの形はあくまで、厳島→市寸島比売命→弁財天を結びつけて、お土産として売りやすくするという事情があってのことでしょう。その「ビジネスセンスが凄い」と思います。
●当然ながら夢に弁財天が出たというのは、後付けか、もしくは島民を説得させるための方便…というよりは購入を促すための販売戦略でしょう。
●誓真がゼロから現状のしゃもじを作ったとは考えにくい。
●誓真はそもそも安芸(広島)の米穀商人。
●宮島では「しゃもじ」ではなく「杓子」としか呼ばれていない。宮島の杓子を「しゃもじ」として流通させたのは別人と考えた方が自然かも。それでも、宮島杓子が当時の庶民のニーズをドンピシャに捉えたことには違いがない。

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