三翁神社の神の一覧

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三翁神社の神の一覧

中央の祭神
佐伯鞍職(サエキノクラモト)
安徳天皇
所翁
二位尼(ニイノアマ=安徳天皇とともに死んだ清盛の妻)
岩木翁
大綿津見命
●これとは別に昭和29年まで平清盛も祀られていました。
●清盛は昭和29年に清盛神社に移っています。

左殿の祭神(向かって右)
大己貴神(オオナムチ=大国主・大物主)
猿田彦神(サルタヒコ)
右殿の祭神
御子内侍・竹林内侍・徳寿内侍の各祖神

中央の祭神

佐伯鞍職(サエキノクラモト)
厳島神社を593年に創建したとされる人物。ただし古事記・日本書紀などには名前がなく、厳島神社の社伝にのみ語られる。速谷神社も創建したとされます。

安徳天皇
平清盛の娘の徳子と、高倉天皇の間の子。1歳4ヶ月で天皇に即位。当然、政治の実権は平清盛にありました。その後、壇ノ浦の戦いで安徳天皇は海で死亡(享年8歳)。安徳天皇を抱えて海に入ったのが二位尼(=平時子)です。遺体が宮島の有の浦に流れ着いたという伝承があります。

二位尼(ニイノアマ)
平清盛の妻で、安徳天皇の祖母にあたる。安徳天皇が壇ノ浦で亡くなった時、安徳天皇を抱きかかえて海に入った女性。「二位」というのは「従二位」の事。当時の朝廷では貴族にはランクがあって、それが「従二位」とか「正三位」というもの。従二位は女性が受けるものとしては「最高位」。

所翁(トコロノオキナ)
佐伯鞍職が大野瀬戸で狩猟としていたところ、紅い帆の船がやって来た。その船のものに「何者か?」と尋ねると「私は、所(=この辺りという意味)のものです」と答えたことから「所」という姓名を貰ったという人物。この話が意味する所は、「所」という人物は「土着の民」だったということでしょう。この「所」という人物の子孫は現在、大竹市の大瀧神社で神主をしているのだそうです。

岩木翁(イワキノオキナ)
速谷神社の境内に岩木翁を祀った社があります。市杵島姫神が厳島神社に鎮座した時に、五烏 (神烏)が廿日市市上平良村に光臨し、岩礁の上に止まり、その神烏が岩木翁に神がかって、神烏を祀る祠を建てた人物らしいです。磐木権現宮にも岩木翁は祭られています。
しかし、厳島神社が市杵島姫神を祀ったのは戦国時代以降のことが古文書から分かっていますから、このお話をどこまで信用していいのかは疑問。ただ岩木翁が土着の人物でこの地域の発展に尽力したのだろうとは思います。

大綿津見命(オオワダツミノミコト)
海の神様。アマテラスの孫のニニギ尊が天孫降臨して、そこでコノハナサクヤヒメと結ばれて生まれた子供が山幸彦。この山幸彦が海で出会った娘がトヨタマヒメです。このトヨタマヒメの親が「大綿津見命」です。ちなみに、山幸彦とトヨタマヒメの間に生まれたのが、ウガヤフキアエズで、ウガヤフキアエズの子供が「神武天皇」…最初の天皇です。

左殿の祭神(向かって右)

大己貴神(オオナムチノカミ)
オオナムチというのは分かりやすく現代語で言うと「大地の精霊」って感じです。オオナムチというのは古事記や日本書記では大国主(出雲創建の神で、出雲大社の主祭神、スサノオの子孫)の子供の頃の名前として登場します。だから、オオナムチ=大国主なわけです。

猿田彦神(サルタヒコノカミ)
ニニギ尊が天孫降臨で、高天原から地上に降りるときに、その途中にいた神様。鼻が長く、身長が高く、目が赤く光って異様な姿でしたから、気味悪がったニニギ尊は天孫降臨についてきたアメノウズメに「何者か、聞いてきてよ」と命令します。アメノウズメが訪ねてみるとその神様は言いました。
「私は猿田彦と言います。天孫が地上に降りると聞いたので、地上まで道案内にやってきたのです」
これが縁となって猿田彦とアメノウズメは夫婦となりました。
それで猿田彦は「道祖神」であり「男女和合」の神様でもあります。
幸神社にも祀ってあります。

右殿の祭神(向かって左)

御子内侍・竹林内侍・徳寿内侍
内侍というのは「巫女」のことです。
巫女の祖神が祀ってあるってことは、巫女は「世襲」だったということになりますね。巫女というと神に仕えるとはいえ、脇役のイメージがありますが、厳島神社に参拝した後白河上皇の記述では神官である佐伯景弘の名前は登場せず、「内侍」という表現の方ばかりです。内侍は神の言葉を伝える重要な役職で、特別視されていたようです。

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