伊都岐島大明神

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伊都岐島大明神

厳島神社に祀ってあったのは伊都岐島大明神
厳島神社は現在は主祭神に市寸島比売命を中心とした宗像三女神が祀ってありますが、927年に編纂された延喜式によると、厳島神社が主に祀っていたのは伊都岐島大明神(=大宮)でした。他に中宮明神、別若宮明神という神が祀られています。ちなみに客人も相殿も現在とはまったく違う神が祀られています。
●相殿には宗像の神が見えますので、伊都岐島大明神は宗像とは別の神。

いつから宗像三女神を祀ったか?

現在の主祭神の「宗像三女神」は戦国時代に祀られるようになったようです。古典の研究が進むと、「伊都岐島大明神」というのは日本書紀や古事記やその他の書物にも全然登場していない正体不明の名前だ!となって、名前の似ている市杵島姫神に「合体」させてしまったよう。
清盛の時代に祀っていたのは伊都岐島大明神
ということは、清盛の時代に祀っていたのは「伊都岐島大明神」と推測されます。
つまり、清盛の時代に厳島神社を収蔵した時、祀っていたのは宗像三女神ではない、ということになります。宗像三女神は九州の「海上交通の女神」。だから厳島神社は清盛の日宋貿易のための神社だ!というのが定説なんですが、この正体不明の伊都岐島大明神という神様となると、どうなんでしょうね?
●実は、現在でも厳島神社で祀られているのは「伊都岐島大明神」です。戦国時代の終わりに宗像三女神に変えられてはいるんですが、内部で祀られている社(=神社の中には神を祀る社が複数設置されている)ものは変わっていません。つまり、宗像三女神は「対外的」な設定であって、厳島神社の神はずっと変わっていないわけです。

ほぼ総取っ替えの神さまたち
いやいや、問題はそこじゃない。現在、厳島神社に祀っている…というか対外的に祀っていることになっている神々は古事記や日本書記の中で登場する非常にメジャーな神々なんですね。それ以前はかなりマニアックな神だった。それが戦国時代以降に現在の神々に置き換わった。宗像三女神はまぁ、清盛の時代から相殿とはいえ祀ってあったのだから、分かる。言うなれば「出世」したという言い方もできるでしょう。でも、その他の神々はおかしい。不自然過ぎる。「神が変わる」こと自体は不思議でもなんでもないんですね。でも、ほぼ総とっかえです。これでは「全く別の神社になった」と言われても不思議じゃない。

伊都岐島大明神とは何か?

夫婦と子供の神
伊都岐島大明神は女神と夫とその子供の三柱の神さまがワンセットとなった神様です。そして、この三柱のうち「主祭神」は女神です。つまり、「厳島神社の神は女神」なんです。そこのところは変わりない。昔から、厳島神社の神は女神なんです。

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