千畳敷(宮島の千畳閣)

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千畳敷と千畳閣

宮島にあるのは千畳閣なのですが「千畳敷」とも呼ばれています。
名前から考えると千畳敷というのが「適切」に思います。
江戸時代の史料には千畳敷
江戸時代の史料には「千畳敷」と書いてあったので、どうも「千畳敷」と呼ばれていた時代の方が長いのではないかと思います。どうして千畳閣だったり、千畳敷と呼ばれるのかはちょっと分かりません。単純に「千畳敷と呼ばれることもあるし、千畳閣と呼ばれることもある」程度のことかもしれません。そもそも千畳敷・千畳閣は「あだ名」なんです。本当は「大経堂」です。大経堂ってのは御経を唱えるための「御堂」です。

ところで「閣」という言葉は千畳閣(千畳敷)を建築した「豊臣秀吉」の異名である「太閤殿下」を連想します。江戸時代に入ると、徳川の世であり、徳川家康は秀吉の子孫とその臣下と戦争をしていましたし、その後のその残党のクーデターを恐れていました。ちなみに江戸時代の有名な反乱の「島原の乱」の「天草四郎」も豊臣の子孫だったのではないか?という噂はずっとあります。
●島原の乱では「ひょうたん」を掲げていました。このひょうたんが「豊臣」を表す象徴なのですね。
●実際に天草四郎が豊臣の子孫かどうかは怪しいですが、少なくとも「豊臣の子孫だ!」と名乗った可能性はあります。

だから、「千畳閣」という名前はタブーだった?
それで、千畳敷という名前が江戸時代の公式な場では口にされたが、地元ではずっと「千畳閣」と呼ばれていた? って感じかもしれません。まぁ、推測なんですけど。

他の地域の千畳敷

千畳敷という名称は山口県長門市日置中にある観光地にもあります。
もしくは和歌山県西牟婁郡白浜町の海岸の名称。こちらも観光地です。

どちらの千畳敷も自然の名勝地で、宮島の千畳閣とは無関係。

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