大師堂…大聖院の空海を祀るお堂

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大師堂とは

名前大師堂(ダイシドウ)
創建不明
本来は大師と呼ばれる人物を祀るためのお堂。大聖院は真言宗なので弘法大師(空海)を祀るが、全国的に言えば弘法大師(空海)だけではなく、智証大師(円珍)、慈恵大師・元三大師(良源)を祀るものを大師堂と呼ぶこともあります。
周囲には西国三十三観音、一願大師稚児大師などが配置されている。大聖院の中では一番奥の一番高い位置にあり、仏像の密度も高い。

大師堂とは何か?

江戸時代の末期に書かれた芸州厳島図会には大聖院のイラストがあり、その左の端っこに「大師堂」がありますので、江戸時代にはあった。戦国時代以前には分からない。

おそらくこの大師堂は弥山の「奥の院」の出張所というポジションだと思われます。私たちは大聖院は真言宗御室派の有名な寺なので昔っから真言宗と思っていますが、実際は天台宗から徐々に真言宗化していっています。大聖院と空海との関係は室町時代に宮島に覚鑁(カクバン=平安時代の僧侶で空海以来の天才と言われた)を特別視する真言宗の一派(新義真言宗)がやってきたことが始まりです。
●空海は宮島に来ていない。空海が大聖院を開基したというのはありえない。ただし、その頃に大聖院かその前身となるものがなかったとも言えない。弥山周辺ではかなり古い時代の儀式のあとが見られるため、宮島が特別視されていたのは間違いない。麓に寺社があっても不思議はない。
●覚鑁は鳥羽上皇の病気を治したことから繋がりが深い。大聖院の本堂は鳥羽上皇の勅願道場(=国家鎮護・皇室繁栄を願う祈祷をする場所)として始まったとされることも何か関係があるのかもしれない。

彼らが弥山の中で密教+修験道の修行をしていく中で「奥の院」が生まれ、奥の院の出張所として大師堂ができたのだろうと思います。だから出来たとしても古くて室町時代中期以降です。もっと新しい可能性も十分ある。

芸州厳島図会のイラストの位置関係を見ても、大師堂は「後から作った」感じがありありとある。

下大師堂
仁王門のすぐそば、五百羅漢庭園の入り口のそばに「下大師堂」というのがあります。上の大師堂と対になっているんでしょうね。

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