厳島神社…世界遺産の安芸国一宮

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厳島神社の設備と観光ポイント

拝観料大人300円・高校生200円・中小学生100円
厳島神社+宝物館や団体の割引があります。
開門時間朝6時半〜17時半か18時(時期・神事によって閉門時間は前後する)

設備・建築物大鳥居客神社東回廊西回廊鏡池康頼灯篭朝座屋卒塔婆石揚水橋内侍橋本社本殿(拝殿・幣殿)・高舞台平舞台火焼前門客神社大国神社長橋不明門天神社(連歌堂)・反橋能舞台

祭神

祭神本社本殿(宗像三女神…市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)
客神社(五男神…天忍穂耳命、天穂日命、活津彦根命、天津彦根命、熊野櫲樟日命)
門客神社(豊磐窓神)
門客神社(櫛磐窓神)
大国神社(大国主命)
天神社(菅原道真公)

歴史の荒波を乗り越えた神社

厳島神社というと、海上神殿であり、波風(や高潮・洪水・土砂崩れ)に晒されていることが語られるんですが、長い歴史を乗り越えたことも注目すべきポイントです。伝承によれば推古元年(593年)に歴史が始まっています。それが事実すると、1400年以上の歴史がある。その中で、平安時代には権力者の平清盛と平家の崇敬を集めました。問題はその後、平家と敵対したはずの鎌倉幕府に敵視されず存続し続け(荒れ果てたこともあったようですが)、室町時代以降は足利氏→周防大名大内→毛利→福島正則→浅野家→明治政府と時代に合わせて庇護を受けて、現在に至っているってことです。

そこには厳島神社・宮島が海上交通の「要衝」であることが理由にあります。宮島を抑えれば、貿易を抑えることになり、厳島神社を庇護することでお手軽に収入を得ることができるのです。そりゃ、庇護しますわな。
●海上貿易は実質、海賊のテリトリーです。簡単に取り締まるのは難しい。陸の民はその土地に行けば、そこに住んでますが、海の民は海をあちこちに動き回って掴み所がない。だから海の民からは税金が取りにくい。しかし、宮島という交通の要衝(交易の取引所)はそこを抑えるだけで、海上貿易から税を取れる。これは見逃せない。
●厳島神社の神は現在の市杵島姫もそれ以前の伊都岐島大明神も「海神」であることに変わらない。

海上神殿…仏教施設であり神社でもある

仏教的神社
浄土教というのが平安時代に流行りました。浄土教ってのは死後に「極楽浄土」に転生して、そこで修行して解脱するって考えです。で、極楽浄土に転生するためには「極楽浄土の様子」を細かくイメージすることが大事だ!ってことになりまして、極楽をイメージした建築物を公家が建て始めます(金持ちでしたから)。その一つが宇治平等院鳳凰堂です。鳳凰堂は「池」ですが、あれも水上神殿ですよね。ちなみに極楽浄土が水上なのは蓮(ハス)が泥の中から花茎を伸ばして花を咲かせることから来ています。仏像もよく蓮の上に座ってますよね。あれと同じです。

厳島神社はこの浄土教の考えを元にして12世紀に建築された神社です。だから赤い柱で海上神殿です(一般的にはそう言われています)。檜皮葺の屋根で左右対称の浄土をイメージした建築物です。
●厳島神社は12世紀以前から存在しました。厳島神社の敷地内には10世紀頃の木材が見つかっていて、あの辺りに施設があったのは間違いがなさそうです。では、10世紀の厳島神社はなぜあの海浜にあったのか?? 浄土教は関係ないでしょう。理由はよく分かっていません。
●それでも12世紀に建てられた厳島神社が仏教的神社であることは間違いないです。

平清盛は厳島神社を修造したか?

観光ガイドでもハッキリと「厳島神社は12世紀に平清盛によって修造された」と言っているんですが、これは定説であっても「証拠」はないんです。当時、厳島神社を修造するだけの力を持っているのは、平清盛以外には考えられない!という程度の論拠です。

「伊都岐島社神主佐伯景弘の解」という文書の中に「佐伯景弘が修造した」と自分(景弘)で書いてあります。正確には「私力」で、です。私力というのが私財を投入したという意味なのか、尽力したという意味なのかはなんとも言えないんですが、少なくとも「清盛からお金をもらった」「援助してもらった」とは書いてない。当時の権力者たる清盛の手柄を奪おうとしたとは思えない。そんなことをすれば殺される。買いてないということは援助はなかったと考えた方がいい。これで佐伯景弘が単独で修造したと言い切ることは難しいですが、強く関係しているのは間違いがない。

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