梁塵秘抄の厳島神社(宮島)の記述

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梁塵秘抄

まとめ
●平安時代末期の後白河天皇(上皇)が書いたとされる今様の本。後白河は平安鎌倉を引っ掻き回した権謀術数の鬼のような人物。
●梁塵秘抄は今様の歌集。梁塵秘抄口伝集は後白河が書いたとされる今様に関する本。
●梁塵秘抄口伝集には後白河がいかに今様を愛し、傾倒していたかが分かる記述が多い、というか今様狂いといったほうがいいレベル。
●後白河四十八歳の時、建春門院とともに厳島神社に参拝したことが書かれている。
●そこでは「長い回廊があり、潮が満ちると回廊の下まで水がある」とある。
●「向かいの山」というのはおそらくは弥山などの宮島の山々だと思われる。
●神社で黒・釈迦と名乗る巫女内侍の舞を見て感動している。その時の伎楽は伝統的な正式なもので、後白河が傾倒していた今様とは違う。
●人が正式な巫女を連れて来る。「人」とは佐伯景弘ではないかと思われる。
●巫女に今様を歌うが、最初は気後れしていた。理由として「公式な場所で、今は昼だから」。つまり今様は公式な場所にはふさわしくなく、夜に歌うものということ。
●平清盛が言うには厳島神社の神は後世(=来世・死後)のことを願うと喜ぶと言う。

梁塵秘抄の記述

後白河は今様の歌謡集とも言うべき梁塵秘抄と解説書というか自分の今様とのおつきあいをつれづれと書いた「梁塵秘抄口伝集」があります。梁塵秘抄はかなり散逸して残っていないのですが、中に厳島神社に関する今様があります。

関より西なる軍神 一品中山 安芸なる厳島 備中なる吉備津宮 播磨に広峯惣三所 淡路の 岩屋には住吉西の宮

訳すると、関の西には合戦の神がいて、
中山神社、厳島神社、吉備津神社、広峯惣三所(=広峯神社)、住吉西の宮
と挙げている。
●「一品」は俗にいう「一宮」に当たる言葉で、中山神社を指していない可能性もあるんじゃないかと個人的には思う。

つまり、厳島神社は戦神(イクサガミ)として信仰されていて、少なくとも平氏が台頭した時代にはあって「よく知られたもの」だったと分かります。
●中山神社(岡山県津山市)、厳島神社(広島)、吉備津神社(岡山)、広峯惣三所(兵庫)、住吉(大阪)と、中山神社を無しとすれば、西から順番に記述されている。
●京都から見たときに厳島神社は「世界の果て」というニュアンスがあったのではないか。

梁塵秘抄口伝集の厳島神社(宮島)の記述

あきの厳島へ、建春門院に相ぐして参る事ありき。弥生の十六日京を出て、同じ月二十六日参りつけり。寶殿のさま、回廊長くつづきたるに、汐さしては回廊の下まで水たたへ、入海のむかへの浪白く立ちて流れたる、むかへの山を見れば、木々皆青みわたりて緑なり。山にたためるがんせきの石、水ぎはにしろくしてそばだてたり。白き浪時々うちかくる。めでたき事限なし。思ひしよりも面白く見ゆ。其國の内侍二人、くろ、釈迦なり。唐装束をし、かみをあげて舞をせり。五常楽、こまぼこをまふ。伎楽の菩薩の袖ふりけむも、かくやありけんと覚えてめでたかりき。

公卿、殿上人、楽人、太政入道、その供人、未だ座を立たぬほどに、まさしき巫女とて、年よれる女をぐして人来れり。我に向ひてゐぬ。いふやう、われに申すことは、必ず叶ふべし。後世の事を申すことあはれに思しめせ。今様をきかばやといふ。餘りはれにして、しかもひるなり。いだすべき様もなくてあるに、なを度々いへば、資賢をよびて、これうたへといふ。かたまりてゐたり。なをきかむといへば、すぢなくていだす。

 四大声聞いかばかり
 よろこび身よりもあまるらん
 我らは後世の仏ぞと
 たしかにききつる今日なれば

いだして、これつけよといへど、資賢あらで、つくることなくて二反終りにき。心に後世の事他念なく申し事をいひ出たりしかば、しむをこりて、泪おさへ難かりき。太政入道、此御神はごせを申すをよろこばせ給ふよし申されしかば、さらぬだに現世の事いと申さぬ上に、さありしかば、後世を申すをいひいでたりしなり。

現代語訳

安芸国の厳島へ、建春門院(=後白河天皇の妃)と一緒に参拝したことがあった。3月16日に京都を出て、3月26日に参拝した。宝殿(=厳島神社の神殿)の様子は、回廊が長く続き、潮が満ちると回廊の下まで水が溜まり、陸地に入り込んだ海には波が白く流れ込んでいる。向かいの山を見れば、木々が青くなって、緑だった。山にある折り重なる岩石、水際に白くそびえ立っている。白い波が時々かかる。めでたきこと限りなし。思ったよりも面白く見えた。その国の内侍(=厳島神社の巫女のこと)の二人の黒と釈迦が、唐装束(=中国風の衣装)で、髪をあげて舞をしました。五条楽、こまぼこを舞いました。伎楽の(中で歌われる)菩薩の袖を振る様子もこのようであるのかな、と思ってめでたく思った。

公卿、殿上人、楽人、太政入道(=平清盛)、その供人(=仕えている人)は座を立たないうちに、(霊力の強い)正式の巫女とて年寄りの女を人が連れてきた。私(=後白河)に向かって来て、言い出した。
「私に申すことは、必ず叶いましょう。後世(=死後・来世)のことを申すことは素晴らしいと思います。さぁ、今様を聞きましょう」
と言った。あまりに晴れ(=正式・公式の場)の場で、しかも昼間なので、歌い出す雰囲気でもないので(黙っていると)、度々(今様を歌うように)言う。そこで源資賢を呼んで、彼に歌えと言った。固まってしまった。(それでも巫女が)「今様を聞きましょう」というので、仕方なくて歌い出した。

四大声聞いかばかり
よろこび身よりもあまるらん
我らは後世の仏ぞと
たしかにききつる今日なれば


歌いだし、これに(歌を)つけなさい、と言ったのですが、源資賢は出来ずに、歌を作ることなく二番まで一人で歌い終わった。
「心に後世のことの他に願いもないこと」と巫女が言ったので、そこで信じたい気持ちになって、涙を抑えがたくなりました。太政入道(=平清盛)は
「この神は後世を願うと喜ばれるそうです」
と言った。私は現世のことをこれといった言わない上に、そのように言われたので
「後世のことをお願いします」
と言ったのです。

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