棚守房顕覚書157 島巡式・鳥喰式のこと

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棚守房顕覚書157 島巡式・鳥喰式のこと

一、天正九年二月初申三日、山口あく。
然れば、二月以来島巡りは五ヶ度、四月にも執行すといへども、鳥喰一度も上らず、此の由注進を遂げ候。公方和、社家三方の気遣ひも是非に及ばざる次第なり。
当社の神秘は多多ありとはいえども、彼のトクヒは取り分け、御神秘の故、房顕、同五月十六日に島廻を申す所に、烏は二羽、ヤブサキの社頭廻りに渡り候へどもあがらず候間、色々立願ども、七浦の社、牛王十社、百韻の連歌、速田の御供、進宮願書ども仕り候て祈念申す所に、先例の如く、はるかの海上にトグヒ上り申すの條、上和、当島安堵す、この節の條を書記し畢りぬ。それ以後、元良と内藤小七郎と二ヶ度鳥喰上り申し候。

現代語訳

天正9年(1581年)の二月の初申の三日に山に入る許可が出まして、2月以降、島巡りを5回しまして、4月にも島巡りがありましたが、鳥喰は一回もうまくいきませんでした。そのことを報告しました。公方和(=公的なもの、ここでは毛利?)と社家三方の気遣いも意味がありませんでした。
当社(厳島神社)の神秘は色々とありますが、この鳥喰は中でも神秘的なものですから、棚守房顕は5月16日に島巡りをしましたが、烏が二羽、養父崎神社の周りに渡り、上陸せずに、色々と立願し、七浦の神社、牛王十社、百韻の連歌、速谷神社(速田神社)の御供え、進宮(=速谷神社の宮)の願書などを捧げて祈念したところ、先例の如く、はるか海上に鳥喰しまして、上和?、宮島は安堵しました。此のことを書記し終わりとしました。それ以後、元良(=井原元良)、内藤小七郎と二度、鳥喰がうまくいきました。

解説

宮島に正式に上陸するためには、島巡りをして、その中で鳥喰という儀式をしないといけません。でないと神に願いを届けられない。カラスが島から飛んできて、お供えした粢団子を加えて持って帰ると「上陸オーケー」という印。此の儀式が行えるのが「御師」という指導者で、棚守房顕も当然、御師でした。
これが1581年の2月以降に全然うまくいかない。島に上陸できなければ、願いは叶わない。厳島神社の神は古来からの有名な「戦神」ですから、鳥喰が失敗するってことは合戦に勝てないのですね。
で、5月に入って棚守房顕が鳥喰儀式をしたところ、どうにかこうにかうまくいった。まぁ、自慢ですね。
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