宮島の鹿に餌をやらないのは残酷か?

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宮島の鹿に餌をやらないのは残酷か?

現在、宮島の鹿には餌をやってはいけないことになっています。
その結果、宮島の鹿はボロボロでフラフラ。
痩せこけて元気がありません。
食べるものがありませんからね。
最近では、これを可哀想だと文句を言っている人もたくさんいますね。
まとめ
●現在、鹿に餌はやってはいけないことになっています。
●鹿が多すぎて、宮島の植生を壊している。
●宮島は広島県では見られない植物の生える特殊な島。
●鹿の数を減らすのは妥当な策。
●鹿が可哀想と言っている人は、なぜ可哀想なのか?
●鹿が死ぬのは可哀想なのはいいのだけど、牛や豚を殺して食べるのはいいのか? その境目は何か??

鹿を減らさなくちゃいけない理由

鹿は植生を壊すほどに増えている
鹿が増えたのは観光地化して、そこで観光客が餌をやったからなんですね。ま、そこら辺を含めて人間の都合なんだから、別に鹿が悪いってわけじゃないんですよ。

宮島は決して広い島じゃありません。宮島に限界を超えた鹿が住んでいると、どうしても宮島の植生がおかしくなってしまいます。宮島島内を歩いていると分かると思うのですが、馬酔木(アセビ)やキョウチクトウという植物がやたら見られます。なんでかというと馬酔木やキョウチクトウは毒があって、鹿が食べないからなんです。

鹿は明らかに宮島の植生をおかしくするほどの数に増えています。
数を減らすのが妥当です。
●宮島は広島県内としては特殊な植生をしています。
理由は「氷河期と宮島(厳島)」で。
●鹿が減ったことで、宮島の参道に鹿の糞が激減。匂いも問題ないレベルに。以前はひどかった。そう考えると観光面でもかなりメリットがある。

鹿は可哀想だけど、牛や豚は殺して食べる

鹿は可哀想か
元気のない動物を見ても、「ま、しょうがないよね」
と言い放てる人間のことを世間では「冷徹」と言うでしょう。
しかし、可哀想だと言った人も、その口で、焼肉を美味しそうに食べるのですね。

鹿はかわいそう。
ところが、牛や豚を殺し、食べても「可哀想」だとは思わない。

むしろ美味しく食べることこそが、命に対する礼儀と言うくらいです。
この差は何なんでしょうか。

動物愛護とはなんだ?

欧米の動物愛護と日本の動物愛護は違う
欧米の人はキリスト教の世界観です。キリスト教の世界観では「知性」が「魂」とされ、知性が高いことがこの世界で人間が特別な存在である理由とされます。だから牛や豚は殺して食べても良くて、クジラは可哀想となります。なぜなら、クジラは賢く、牛や豚は馬鹿だからです。同様の理由で、馬鹿だから黒人を奴隷にしても構わないとなり、馬鹿だからアジアを植民地にしても良いとなります。ひどい話ですが、欧米の人はこれで辻褄が合うんです。

しかし、黒人もアジア人も接していれば「知性」があると分かります。だから人権が認められるようになります。そして動物も接していれば、感情があり、知性があると分かるので、動物を殺してはいけないとなって、動物愛護が道徳となります。
●欧米の「権利」の歴史は、「知性がある」と彼らが認めた範囲が広がっていく経緯の歴史なんですね。
●キリスト教では神が世界を作り、人も神が作ったもので、人の命は全て、本来は神のものです。よって人の命を、人の勝手な都合で傷つけることは、神への冒涜です。この侵してはいけないものを「人権」と言います。
●実は人権ってのは「キリスト教(正確にはプロテスタント)の宗教の概念」なんです。
●白人は人種差別をしたことがありません。彼らは人種ではなく、知性で差別しているんです。

日本人に取って魂と知性はつながっていない

しかし、日本人は知性と魂がイコールではありません。日本人にとって形あるもの全てには魂があるのが普通です。よって、日本人は野菜にも動物にも等しく魂があると考えます。だから「魂があるものを殺すのは不道徳」という姿勢でいると、何も食べられません。生きていく上では何かの死を食らう以外にはありえない。それが食事の時に言う「いただきます」という言葉です。「いただく」というのは「食事を用意した人への感謝」だけでなく、「命(死)への感謝」という意味があります。

境目は知性

欧米の人は、犬や猫はかわいそうだけど、牛は豚は食べていいという境目に「知性(があると彼らが感じる)」という明確な線引きがあるのですが、日本人にはありません。犬・猫・クジラはかわいそう。でも牛や豚は食べていい。ではその境目は何か?? 日本人には命にその差がありません。だから鹿がどれだけ可哀想でも、その境目を説明できなければ、偽善以外の何物でもない。

鹿を救うとして、では牛や豚はどうなるのか?
なぜ救わないのか?

欧米の場合は、この考えを突き詰めていって「ベジタリアン」になります。どんな動物でも知性があり感情があるのは当然です。となると野菜しか食べられない。欧米の人が言うベジタリアンって健康のためじゃないんですよ。
日本人の世界観で同じように「魂あるもの」を殺さないようにしていくと、野菜も食べられなくなります。動物(肉)と植物(野菜)の間に「命」の差がないからです。日本人のベジタリアンは単なる健康志向です

罪の穢れへの恐怖と祟りの恐怖
日本人は穢れを嫌います。
穢れにはいくつか種類があり、その中に「罪の穢れ」というのがあります。
日本人はこの罪の穢れに敏感です。
動物愛護が世界の潮流になっているのですから、鹿に餌をやらずに殺すのは可哀想というのは、全くの正論ですが、そこは欧米(=キリスト教)の世界観があってこそ辻褄の合う話です。ただ鹿が可哀想なだけでは、日本では通用しません。

もう一つ、大事な日本人の感覚に祟りがあります。
日本人は無実の罪で死ぬと、その恨みが天変地異を起こすという感覚があります。だからいじめられっ子が自殺すると、加害者を吊るしあげるのです。
宮島の鹿は食べ物がないからフラフラです。ブルーシートをむしゃむしゃ噛むくらいに腹ペコです。可哀想ですよね。鹿には非がない。人間の都合で増えて、そして人間の勝手な決定で飢餓状態に追い込まれて、数を減らしている。これは無実の罪で殺されたのと同じです。祟られてもおかしくない。
●この「祟り」という感覚が、欧米の「人権」を補完する性質を持っています。

日本の動物愛護の境目

だから鹿は可哀想。
鹿への餌やり禁止はひどい。となるのですが、それでも牛や豚を食べていい理由にはならない。辻褄が合わない。祟りは感情的な理由となっても、理屈としては不完全に思います。結局のところ、日本人は明治に明治天皇が肉食をして肉食が解禁されるまでは肉食をしておらず、ここいら辺の「ロジック」がまだ整理されていないのだと思います。

どうしても鹿と牛や豚の間に違いを求めるなら
「ルックス」です。
見た目が可愛いから、殺すのははばかれる。
例えば、日本人も鯨は躊躇なく食べるのですが、イルカとなると躊躇する人が多くなるでしょう。違いは何か? 見た目のかわいさです。あと、鶏は食べるけど、ひよことなると可哀想となりませんか??

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