厳島神社の鳥居は白い柱だったことがある

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白い柱になった訳

今ではあまり語られませんが、一時期、厳島神社の鳥居は「白」だったことがあります。
明治維新が起き、神仏分離・廃仏毀釈の波が起こると、神社の中から「仏教」の要素を排除する動きがありました。すると「厳島神社の鳥居が赤いのはダメ」となったんです。なぜかというと「赤は仏教の色」というのが明治政府の公式見解だったからです。

いやいや、厳島神社にとっては赤い柱がトレードマーク。
これでずっとやってきたんだぜ、勘弁してよ。
と厳島神社側がマゴマゴしていると、明治政府はこう言いました。
「じゃあ、全部焼け」

これで顔面蒼白。
仕方なく、大鳥居と厳島神社の赤い塗料を削り落として「白」にしてしまいました。
その後、すぐに現在のような赤に戻るのですが、それにしても厳しい命令です。

厳島神社と五重塔

これに対して「優しい」対応を受けた施設があります。
五重塔です。
五重塔は完全な仏教施設です。そして真っ赤。仏像が内部にありましたし、また現在も仏教壁画が残っています。しかし、五重塔は白になったというお話はありませんし、仏教壁画が現在でも残っています。残っていることが不思議なんです。なぜ残ったのでしょうか?
五重塔が宮島のランドマークだったのではないか?
推測ですが、五重塔の方が江戸時代までは宮島においては「メイン施設」だったんじゃないでしょうか。この五重塔がある丘のことを「塔の丘」と呼んでいます。この丘の東を「東町」、西を「西町」と呼んでいるんですね。つまり、江戸時代まではこの五重塔が「中心で基準」だったってことです。厳島神社がメインならば、神社の北とか、西とか東と言うはずなんですよ。

つまり宮島は江戸時代まで神の島じゃなかったのですね。

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