棚守房顕覚書139 野坂家家宝のこと

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棚守房顕覚書139 野坂家家宝のこと

一、当社家奉行を存ずる上は、何と候ても名を残し度き故、ゆり若殿の御父徳大寺公光の篳篥、野間家断絶に付き、房顕もとめ、野間家の家書目録とともに、宝蔵に納めをく、又、横萩大臣の姫君、中将姫の絵掛け物、阿弥陀三尊栴檀は棚守の内儀宝蔵へ納める。
将又、天王寺の伶人蔦ノ坊、岡兵部小輔の父、薗式部、東儀因幡守、細々下向あり。
然る処に、京一の琴なれば、法華と名づくるを、銀子五百文にもとめ下す。当社末世の調法なり。佐々木の綱切りと伝ふあをの太刀、野坂家の重代たり。神領一乱の砌、棚守が手に渡る。社家の事なれば宝蔵に納める。末代の事なり。

現代語訳

徳大寺公光の篳篥
室町時代に元寇の時の物語である「百合若大臣」が成立しまして、その物語の主役の百合若大臣の父親が徳大寺公光(徳大寺公満)。彼の「篳篥(ヒチリキ)」を野間家が持っていた。野間家が断絶することになったので、そもそも舞楽の家柄の棚守房顕が「だったら頂戴!」と譲り受け、野間家の家書目録(=野間が所蔵していた文書類)とともに宝蔵に収蔵した。

さらに文化財が
横萩大臣ってのは「横佩大臣(=藤原豊成=奈良時代の人物)」のこと。その娘の中将姫というのが居りまして、彼女は継母にいじめられて出家して、大和当麻寺の尼になり曼荼羅を織った女性。彼女を題材にした能や浄瑠璃が演じられていて、非常に有名人。その彼女の絵の掛け物と、センダンという植物でできた阿弥陀三尊は「内儀宝蔵」に納めたと言います。内儀というのは他人の奥さんのこと。ってことは棚守房顕ではない、別の棚守の「内儀」の「宝蔵」に収めたということになるんですが、内儀ってそういう意味じゃないと思います。

文化人の来島
次に伶人(=雅楽の演奏者)の蔦ノ坊、岡兵部小輔の父、薗式部、東儀因幡守が再々、下向…京都から降ってきたことが書いてあります。

おそらく彼らが訪れた時に、京都一の琴で、法華と名付けられたものを、銀子500文(=現在でいうと108万円)で求めて購入した。それが厳島神社の末世の重宝だと棚守は言ってます。

佐々木高綱の太刀
又、「佐々木の綱切り」という平安時代末の人気の武士の佐々木高綱の太刀が野坂家に伝わっていて、厳島神社の領地で揉め事があった時に、棚守の手にその太刀が渡ったというのです。その太刀も宝蔵に収めたと。

解説

完全な自慢。しかし、かなり胡散臭いものばかりです。「なんでも鑑定団」なら恥をかくんじゃないでしょうかね。棚守房顕は文化財コレクターみたいですが、どうもここだけ読む限りは財力と権力にものを言わせて収集しまくったって感じですよね。
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