小松内府平重盛御手植えの松…清盛の長男が植えたとされる松

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小松内府平重盛御手植えの松

名前小松内府平重盛御手植えの松(コマツナイフタイラノシゲモリオテウエノマツ)
場所厳島神社の出口と大願寺の間
創建伝承が史実であれば平安時代に植えられ、明治に切り倒された。

アクセス

平重盛とは?

平重盛は平清盛の長男。平家物語などではかなり温厚で、物事を客観的に見れる人物として描かれているんですね。時に清盛をたしなめるシーンすらある。平重盛は平家物語では重要な人物で、彼が若くして死んだことが平家没落の一つの要因になっています。
●しかし、この「立派な人物像」は創作。

小松内府とは?

重盛は六波羅小松第と言う場所に家があったので「小松殿」と呼ばれていました。また内大臣だったので、「小松内府」とも呼ばれていました。
●内府は内大臣の通称。内大臣は左大臣・右大臣の次の位。

老松は平安時代からあった??

平重盛は父の清盛とともに厳島神社に参詣し、治承元年(1177年)10月に千僧供養を行なっています。しかし、この時(もしくはこの時代)、本当に平重盛がこの松を植えたのかは分かりません。松についての記述は江戸時代末に書かれた「芸州厳島図会」の中に「大願寺境内に重盛が植えたと言う老松がある」と書かれているのみ。よって江戸時代には確実にあった。しかし、それ以前は分からない。この松は明治初期に切られてしまい、現在、大願寺の前に展示してあります。

明治になぜ切られたのかを書いたものはないんですが、おそらく明治維新で天皇が主となったために、平安時代に「朝敵」となった平家が明治に否定されたのではないか?と思われます。

なぜ小松殿のお手植えの松が観光名所なのか

江戸時代の末に編纂された「芸州厳島図会」に平重盛の松が記載されているというのは、結局のところ、平家物語という物語を庶民の多くが見聞きしていたことにあります。誰もが知っているから、「あの立派な平重盛が植えた松を一目見たい」という思いにかられて、観光名所として成立したわけです。
●能や歌舞伎で平家物語の題材が取り上げられるのは結局、庶民に平家物語が浸透していたから。

実際に植えたかどうかではなく、伝承としてあったわけでしょうけどもね。これは現在の大願寺の九本松を「へぇ、伊藤博文のお手植えなんだ」と思いながら観光するのと全く一緒です。明治に平重盛の松や後白河天皇の松が切り倒され、観光名所が減った代わりに「伊藤博文の九本松」が植えられたんじゃないかと思うんですよね。

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