廃仏毀釈…宮島を変えた明治の大事件

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廃仏毀釈で消えていった文化財

明治維新が起きて、政府が「神道」を掲げるようになると、神道から仏教を引き剥がす作業が行われました。宮島もその例に漏れませんでした。
まとめ
●明治維新で廃仏毀釈があり、多くの仏像・仏具・経典・建築物が消えた。
●壊されたものもあったが、神社から引き剥がされて、収入を失って朽ちたものが多い。
●残った文化財もあるが、失ったものも多い。ただし、「どれだけのものが失われたのか?」すら分からない状態。

神社から引き剥がされる仏教

厳島神社に駐在していた「僧侶」は排除され、大願寺によって管理されていた厳島神社は、切り離され、独立します。また厳島神社で行われていた「仏教由来」のイベントは無くなったり、仏教の要素を削られて、存続しましたが、かなりイベント・・・ようなお祭りがなくなってしまいました。
●祭りや祭祀が消えるということは、収入を失います。
●それで宮島の寺は政府に壊されたというよりは朽ちていったというのが多い。

宮島は江戸時代まで大量の寺がありました。
ところがこの廃仏毀釈の中で、寺を打ち壊され、お経・仏像・仏具は消えて無くなってしまいました。特に「厳島神社の社領」とされた場所にあった建物は壊されました。社領ではなかったために壊されなくとも、寺の運営が立ち行かなくなって無くなった寺が大半でした。

千畳閣五重塔はどうやら厳島神社の社領内にあったのですが、千畳閣は「豊国神社」として宗旨替えすることで生き延びました。五重塔は「厳島神社のもの」として残りました。その際、千畳閣五重塔にあった仏像はそもそもの管理者である大願寺へ移設されました。

失われたものがどのくらいあったかも分からない

千畳閣や五重塔のように仏像も建築物も残ったというのはおそらく一部のことで、記述の一切ない、もはや存在したのかどうかすら確認することのできない「文化財」があったのだと思われます。確認のしようがないので推測の域を出ることは一切ありませんがね。

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